人間の近親交配
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 15:12 UTC 版)
近親相姦と近親交配の用語は似ているようで異なる。近親交配は遺伝的な問題を重視するためそれは自然科学的用語である。一方、近親相姦の用語は文化的なタブーから発生した用語で、人文科学的、あるいは社会科学的な用語である。 歴史的に近親婚は、地位や財産の一族外への散逸を防ぐため、東洋・西洋とも王族・貴族間では慣例的に広まっていた。有名な例では、スペイン・ハプスブルク朝では、血族同士の結婚を繰り返し、17世紀末には虚弱な人物ばかりが誕生するようになり断絶するに至った。その典型例である最後の王カルロス2世は、伯父と姪の婚姻の結果であるとみられている。ベラスケスの肖像画で知られる同母姉マルガリータ王女は、父方の従兄・母方の叔父にあたるレオポルト1世と結婚し、夫妻の間に生まれた4人中3人の子が1歳未満で夭折(死去)した。 日本でも近親婚の風習は戦前までよく見られた。戦後に制定された民法により、三親等内の婚姻は禁止されている(民法734条)が、近親婚の風習が残る地域もある。 古代においては、皇族は、豪族・貴族に対して、神聖さを強調するために、近親婚が当たり前のように行われた。例えば、天武天皇は、兄の天智天皇の皇女で、天武からみればめいである持統天皇を皇后とし、その間に生まれた草壁皇子を皇太子として、その男系子孫に皇位を継がせようとした。しかし、天武天皇と持統天皇の男系子孫にあたる、草壁皇子と文武天皇、基王は、近親婚の結果としての虚弱体質が祟り、早死にしてしまう。聖武天皇は50代まで長生きするが、生涯病弱であった。 また世界的にみて、いとこ婚のような比較的血縁の近い者どうしの婚姻の頻度が高い地域特に中近東、ロシア系ユダヤ教徒内にあるが、遺伝的背景による精神的または体格的障害児が頻繁に生まれやすくなることが報告されている。現在のロシア、ユダヤ教ではこの風習を完全に控える事が一般的である。 逆に創世神話・伝説等には英雄や神が近親婚や近親相姦によって生まれたとの伝承がある例が広く見られる。これはむしろ、その生まれの特殊性を示すためと考えられている。あるいは人間との違いが強調されているか、または作り話であることが示唆されるものである。
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