人為的な酸性雨の起源
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/19 05:00 UTC 版)
世界で初めて酸性雨の存在が明らかにされたのは、産業革命が頂点に達した19世紀のイギリスであり、1878年のR. Smithの論文「マンチェスターのスモッグ」の中で言及されている。 19世紀のイギリスでの石炭・コークスの消費量増大は、排出ガスによる降水の酸性化を進行させたことが判明している。 1950年代に入って間もない頃に湖や川の魚が死んでいったり、古い教会のブロンズ像がボロボロになったりする異変がスウェーデンやノルウェーの南部の北欧で始まっていた。その原因はpH 4 - 5の雨が降っていたことであった。この両国にはその汚染源は見つからなかった。しかし、その原因を突き止めたのはスウェーデンの土壌科学者S・オーデン博士であった。その汚染物質は欧州中部から運ばれてきていた。1967年、博士は酸性雨の研究の論文を発表している。 産業革命以降、石炭を大量に使ったイギリスやドイツなどがスカンディナビア半島の森林に多大な影響を与え、1980年代までには当時の東ドイツ、チェコスロバキア、ポーランドを中心とする国々も石炭を使い続けた結果、欧州東部へ広がる針葉樹林の広範囲を死滅させてしまった。もちろん住民への健康被害は大変なものであったにも関わらず当時の政権はそれを隠蔽し続け、被害をよりいっそう甚大なものとしてしまった。 日本でも大気汚染の影響から1970年代前半には関東地方で強い酸性の雨が降り、1980年代以降は中国をはじめとするアジア諸国の経済発展に伴い、東アジア全体で酸性雨が問題視されるようになった。 中国では石炭の埋蔵量も豊富であり、安価であることから使用量も莫大であり、北京をはじめとする内陸部の工業地帯では酸性雨や大気汚染が広がっている。街にはマスクをかけている人が見られる。
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