五味 - 荻島時代
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「朝のホットライン」の記事における「五味 - 荻島時代」の解説
お天気マン・スポーツマン・ビッグマンなどは草野に交代後も放送。 朝の最新ニュース(1981年9月28日 - 1983年3月25日)JNNニュースの枠として適用されていた。本番組の前後に『JNNおはようニュース&スポーツ』『JNN8時のニュース』が開始したため、一旦本番組からは独立する。 ザ・スポーツマンスポーツを通じて繰り広げられた人間ドラマに焦点を当てながら、放送前日の主なスポーツの結果を伝えたコーナー。テレビのスポーツニュースとしては珍しく、プロ野球などの試合のダイジェストVTRにナレーションを一切入れない代わりに、ドラマの惹句や歌謡曲の歌詞を彷彿とさせる字幕を大きく表示させていた。 ビッグマンある著名人へ朝から夜までの密着取材を行うコーナー。 100人中継旬の話題になる場所へ出向き、番組開始の「おはようございま〜す!!」コールや、即興アンケートを実施してコーナーを盛り上げた。参加者の中には明らかに「出たがり」な人も少なからずいた。 HOT君の旅トヨタ・タウンエース(2代目)の屋根にHOT君の大型バルーンを積載。番組スタッフと一般公募で選ばれたリポーターが乗り込み、全国を旅して回った。 ポップルポップ毎朝一曲洋楽に乗せてイメージビデオをオンエア。番組は開始からこのコーナー前までモノラル放送であるが、このコーナーからステレオ放送になる。後に「ポップルポップinUSA」にタイトル変更。ニューヨークから電話で最新の全米ヒットチャートをリポートしていた。 ザ・お天気マン前田武彦が、生中継で天気図などの解説を交え、天気予報を伝えた。月 - 木曜日は、当時のTBS本社屋上を中心に東京から放送。ネット局のスタジオからも毎日3局、女性アナウンサーがクロマキー合成で映された各地の空を背景に各地方の天気概況を伝えた(セットは各局ともにクロマキーの前にアナウンサーが座り、テーブルにネームプレートを置く形式で統一されていた)。ザ・お天気マンのBGMとして、シンセサイザーを駆使したドイツのバンドCUSCOのAlcatrazが使われた。 金曜日のみ大阪から、近藤光史(当時・MBSアナウンサー)とともに中継で出演していた。日によっては日本武道館近くの北の丸公園や、100人中継と同じ場所から中継することもあった。
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