事故当日の運転士の行動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 22:56 UTC 版)
「JR福知山線脱線事故」の記事における「事故当日の運転士の行動」の解説
「#列車速度超過説(事故報告書、通説)」も参照 事故当日は、前日24日から2日間にわたっての勤務で、6時48分に放出駅から乗務し、松井山手駅まで回送し、松井山手発快速尼崎行き、尼崎発宝塚行き回送、宝塚発快速同志社前行きに乗務し、9時38分に京橋駅で乗務を終える予定だった。乗務開始から事故発生までに運転士は数回にわたってミスがあった。(前述の事故報告書記述と併せて参照されたい) 9時前、宝塚駅停車中、折り返しのため、車掌が尼崎方1両目から7両目に移動した際、運転士が最後部の運転席で3分以上座っており、車掌に気付き室内から出た際、車掌が直前の停車に対して「(ATS) Pで止まったん?」との問いに運転士は不機嫌な様子で無言のまま立ち去った。 9時1分頃、本来運転士が使用することのない無線の試験信号が指令所に受信される。事故調査報告書によると運転士は度重なったミスにより、宝塚駅到着前後には既に心身的に影響があったとしている。度重なったミスを車掌が指令所に報告しないか確認するため無線に気を取られ、伊丹駅手前の停車ボイスを聞き逃し、伊丹駅を72 mオーバーランした。 伊丹駅を1分30秒遅れで出発後、車掌を呼び出し「まけてくれへんか?」と求める。車掌の「だいぶと行っとるよ?」との返答したところで、乗客が乗務員室の仕切り窓越しに車掌にクレームを入れたため、車掌から電話を切った。車掌側の状況を知らない運転士は虚偽報告を拒否されたと思い、再度運転士は車掌と指令員の交信内容に注意を払っていた。そのためカーブの認識が遅れ、ブレーキを操作するも間に合わず脱線した。また、運転士の右手の手袋が外れており、運転席に赤鉛筆が落ちていたことから、事故直前、運転士は交信内容をメモしていたと思われる(メモは運転士用時刻表のケースに記されたと思われるが、事故の衝撃でケースが粉砕されたため内容は確認されなかった)。 報告書では、列車が事故現場のカーブを高速度で進入したのは運転士が意識的に行ったのではなく、車掌と指令員の交信に気を取られ、ブレーキ操作が大幅に遅れ、充分減速できないまま現場カーブに進入し、脱線したとしている。
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