事故後の信楽高原鐵道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 05:28 UTC 版)
「信楽高原鐵道列車衝突事故」の記事における「事故後の信楽高原鐵道」の解説
信楽高原鐵道ではこの事故後、「世界陶芸祭」に対する輸送力強化のために多額の費用をかけ新設した小野谷信号場は本事故を契機に使用中止とした。また、小野谷信号場使用時代は特殊自動閉塞だったものを、貴生川駅 - 信楽駅間全線を一閉塞とした従前のスタフ閉塞として、1991年12月8日、運行が再開された。2021年現在もこの一閉塞運行は続けられており、小野谷信号場使用当時は1日26往復、最小27分であった運転間隔が現在は1日15往復、最小1時間間隔となっている。また、当時の社員数20名のうち事故で5名の社員を失い、事故を起こした編成のうち、2両の車両が廃車された(JR車も1両が廃車)。 なお、「世界陶芸祭セラミックワールドしがらき'91」は会期を5月26日まで残していたが、事故翌日から開催を休止しそのまま終了となった。 さらに事故の補償で巨額の補償金支払いに迫られた信楽高原鐡道は、滋賀県および信楽町からの20億円あまりの貸付金にて補償に充てた。また無利子貸付の基金の受け入れにより、基金の運用益から貸付金を返済する支援が実施されたが金利低迷で実らなかった。県・市からの安全対策経費の補填も2004年より実施されたが一連の裁判の終結後、信楽高原鐵道は2012年2月に自力再建を断念し、被害者補償のために借り入れた資金について、借入元の滋賀県と甲賀市に対し、債権の放棄か減額を求めて調停を申し立てる事態になった。翌2013年2月に滋賀県と甲賀市は債権放棄で受諾する特定調停が成立。その後、2013年(平成25年)4月1日、地域公共交通の活性化及び再生に関する法律に基づく鉄道事業再構築実施計画により上下分離方式に移行した。信楽高原鐵道が信楽線の第二種鉄道事業者となり、線路や車両等の鉄道施設を無償譲渡された甲賀市が第三種鉄道事業者となった。
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