事故の調査と疑念
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 09:48 UTC 版)
事故の原因については、機関士の信号誤認なのか、それとも駅員の信号操作の遅れなのかが争点になった。 裁判で、下り快速列車の機関士は「通過信号は進行現示だった」と主張した。一方、六軒駅の信号掛は「通過信号機は注意現示だった」と主張し、真っ向から対立した。 本来のダイヤでは下り快速列車は六軒駅を通過し、次の松阪駅で上り快速列車と行き違う予定であった。しかし事故当日は下り快速列車が遅れていたため、上り快速列車の名古屋駅での接続を考え、急遽、六軒駅での行き違いへの変更を運転指令所が決め、それを受けた六軒駅の駅長が信号現示などの変更操作を行っていた。六軒駅では、下り快速列車に対して高茶屋駅からの要請で閉塞の承認を与え、松阪駅との閉塞承認も得て、いったんは所定の通過扱いで準備していたところ、後から行き違い変更のための対応を求められたかたちとなった。一方、下り快速列車の機関士は、当時は列車無線の設備がないため、通過信号機の注意現示に従って駅に臨時停車し、駅長から行き違い変更の連絡を受けるほかにダイヤの変更を知る方法がなく、事故に至るまで六軒駅での行き違いの変更を知らず、本来のダイヤ通り六軒駅を通過する認識であった。 駅によるこの信号現示の変更操作と機関士の信号確認との時間関係が問題となった。捜査では、臨時行き違い変更の指令を駅が受け取り、通過信号機を「注意」、出発信号機を「停止」に変えた時には、列車は既にこの通過信号機の確認喚呼位置まで来ていたとされた(しかし、この捜査結果は、上り対向列車がすでに松阪駅を出発しているにもかかわらず通過信号機および出発信号機がこの時点まで「進行」現示であったことになり、疑念が残る)が、直接の物証がないまま、長期にわたり争われた結果として、機関士の信号誤認が原因であるとの判決となった。当該機関士と機関助士は執行猶予つきの禁錮刑となった。 また、後日の事故再現で、重連では非常制動が3 - 4両目の客車までしか伝わらない特性が改めて見いだされた。非常制動が掛けられた際、ブレーキ管圧力の減圧が2両目の機関車の長さだけ伝わるのが遅れるのである。それによって列車の制動距離が100 m ほど延び、止まりきれなかったことも事故の一因とされた。そもそもこの現象は、戦前からたびたび指摘されてきているものであり、重連運転が常態の上越線清水トンネル前後のEF12や北陸本線DD50などでは、ブレーキ管の急減圧を感知したらブレーキ管を直ちに急排気して非常減圧の伝達を促進するE吐出弁(急動弁)を設け、非常制動が全車両に行き渡るように改造していたが、全国には徹底していなかった。しかしそれによる管理側の責任は問われなかった。
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