じこのてんまつ【事故のてんまつ】
事故の顛末
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/18 05:03 UTC 版)
1977年11月5日、京都競馬場の第9競走(ダート・1400メートル)は18頭立ての多頭数で、前日までの雨の影響で重馬場でのレースとなり、松若はトウホーフラワーに騎乗していた。多頭数のなかで先行争いが激化して先団がごちゃつくなか、第3 - 第4コーナーの中間点で、エスプレッソローマ(高山吉司騎乗)が先行馬に触れて落馬した。後方にいた各馬は、重馬場のせいもあって視界が利かず、またダートコースの幅員が狭いコーナー地点での事故で避ける間もなく、6頭の馬が先に転倒した馬に触れて落馬していった。 落馬の際、松若は頭蓋底骨折の怪我を負い、救護室に搬送されたものの、その場で死亡が確認された(即死状態)。即死の原因は着用していたヘルメットが落馬の衝撃で外れたためと言われている。通算成績は906戦80勝・2着102回・3着88回・着外636回だった。 1977年は、落馬死亡事故が相次いでいたが、その中で発生したこの7頭落馬事故は衝撃的な事故であった。この事故を契機に、狭い幅員のコースの改良や、出走頭数の制限などの安全対策が検討されることになった。
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