中田説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 21:34 UTC 版)
明治民法が封建の旧慣を温存・存続させたとする旧通説を批判し、団体主義のゲルマン法型家父長制からの大転換を主張するのが日本近世法の代表的研究者中田薫である。 徳川時代…家の当主は家族に対して、いわゆる家長権なるものを行使する事なし。もとより彼は父として親権を行い、夫として夫権を行う。しかれどもその余の家にある伯叔父兄弟姉妹等、いわゆる厄介者に対しては、何らの権力を行うものなきとす。ローマの家長権は権力(Potestas)にして、ゼ[ゲ]ルマン族の家長権は保護権(Mundmium)なりき。我が徳川時代に家の当主が厄介者に対する関係は、権力にあらず保護なり…法律の干渉の外に独立し、しかも法律上の義務よりもさらに強大なる道徳上の職分なり。 …今日の民法は家族居住の指定、婚姻の承諾、離籍の言渡し等三、四の軽微なる権利を掲げて、これを戸主権と名づけ、戸主権と戸主の財産権との相続を称して、家督相続という、前古無類の新制度というべし。 — 中田薫『徳川時代の文学に見えたる私法』 この立場からは、戦後の家族法大改正で伝統的家制度が無くなったというのは誤りで、戸主権という不純物が無くなって日本古来の姿に戻っただけと主張される。 同説に対しては、旧民法編纂過程で既に戸主権が存在した事実を無視する点に批判がある(手塚)。歴史観の違いを理由にした批判もある(平野)。
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