中国語版『馬頭琴』が制作された理由
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「スーホの白い馬」の記事における「中国語版『馬頭琴』が制作された理由」の解説
中国語版『馬頭琴』は塞野が1951年にチャハル盟(現在のシリンゴル盟)ドロンノールの多倫完全小学校に教師として勤めているときに同地の寺院で行事があり、60歳くらいの男性が歌っていたのがその物語で、興味深く感じた塞野は上演後にその男性から内容を教えてもらった。それを整理したもので、「整理」との言葉から書籍で発表されたものはオリジナルではなく、塞野による創作が含まれる。そのため大塚による『スーホの白い馬』は再再創作で、彼や赤羽、出版社などはそれを知らずに発表したことになる。 塞野は張北師範学校時代から新聞などにエッセイや教育に関する寄稿をしており、1954年の夏に『内蒙古日報』の副刊編集者と知り合い、仲を深め、同年末か翌1955年始めに『馬頭琴』の話を整理、作品にして同誌に投稿、編集部で修正が行われて掲載、すぐに話題となり1955年末から半年間、幾度か中央人民ラジオでも放送され、それをきっかけに中国全土へと広まった。 作中ではスーホが貧しい羊飼い、無産階級だと強調され、殿様はスーホを下に見て、彼の馬を奪って殺すという搾取階級の悪人で、2つの階級を対立させることで殿様のような搾取階級は悪で絶対に倒さなければならない存在だとの思想に基づくもとであると考えられる。 中国共産党が1946年から行った土地改革、牧畜改革により支配階級を排除しようとしたが、遊牧民たちは政治には無関心で宣伝にあまり反応を示さなかったため、モンゴル民族のよく知る民話などを利用して共産主義のプロパガンダをし、そのような背景がある中で登場した『馬頭琴』は内モンゴルにも支配者がいればスーホのような貧しい人もいる階級が存在するという社会主義思想に基づいて制作された。 『馬頭琴』の主人公は「蘇和」と表記されモンゴル語の「スホ」に漢字に当てたもので「スーホ」は中国語読みだが、「スホ」は槌を意味し、共産主義のシンボル鎌と槌を連想させ、無産階級であることを暗示している。 以上からして『馬頭琴』は単純な主人公と馬の絆の物語ではなく勧善懲悪を基調に無産階級のスーホが善、有産階級の殿様を悪とした特定の時代、社会、政治思想により作り出された作品である。 2018年にミンガド・ボラグが塞野に取材した際、彼は中国語版『馬頭琴』が『スーホの白い馬』として日本など世界へ広まっていたことは知らず、そのこと聞かされて喜んだ。
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