中国国民党の成立とは? わかりやすく解説

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中国国民党の成立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 16:00 UTC 版)

中国国民党」の記事における「中国国民党の成立」の解説

1919年10月10日結成されたものの活動停止していた中華革命党改組する形で中国国民党結成された。本部上海置かれ、党総理には孫文就任した第一次世界大戦後パリ講和会議によってドイツから山東半島権益日本譲渡されたのを受けて中国全土で「反日愛国運動」が盛り上がった。この運動以降中国青年達に共産主義思想への共感拡大していく。この反日愛国運動は、孫文にも影響与え、「連ソ容共労農扶助」と方針転換した旧来のエリートによる野合政党から近代的な革命政党へと脱皮することを決断しボリシェヴィキモデルとした。ソ連からコミンテルン代表のミハイル・ボロディン国民党最高顧問迎え赤軍にあたる国民革命軍軍官学校設立したそれゆえ中国共産党中国国民党とを「異母兄弟」とする見方もある。他にもソビエト連邦共産党システム学びソ連同様の党国体制布いた1921年中国共産党樹立されると、国民党当初容共立場をとり、1922年コミンテルン極東民族大会において「植民地半植民地における反帝国主義統一戦線形成」という方針採択受けて1923年1月にはソ連との連帯鮮明にした「孫文・ヨッフェ共同宣言」が発表される1923年6月中国共産党第3回全国代表大会においてコミンテルン代表マーリン指導で、国共合作方針となった1924年1月20日には、共産党との第一次国共合作成立し軍閥対抗するための素地形成された。陳独秀毛沢東もこのときに国民党入党した孫文死後1925年上海発生した五・三〇事件背景にして、汪兆銘主席とする広東国民政府樹立1926年には、北伐開始した1927年に、蔣介石の上クーデターにより国共合作崩壊したものの、北伐継続され1928年6月9日には北京入城し北京政府を倒すことに成功した

※この「中国国民党の成立」の解説は、「中国国民党」の解説の一部です。
「中国国民党の成立」を含む「中国国民党」の記事については、「中国国民党」の概要を参照ください。

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