中国国民党政府による台湾接収
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 17:59 UTC 版)
「台湾問題」の記事における「中国国民党政府による台湾接収」の解説
第二次世界大戦において、日本は枢軸国として参戦した。しかし、戦況は連合国が有利な立場となり、1943年に米国、英国、中華民国、ソ連の首脳が集まってカイロ会談が開かれ、台湾の主権を中華民国に返還することが首脳間で取り決められた。中華民国政府は1945年の日本敗戦後、連合軍の委託を受けて台湾に軍を進駐させた。そして、カイロ会談での取り決めを根拠として台湾を自国領に編入した。さらに1947年には二・二八事件を契機に台湾省を設置することで、台湾の統治体制をより強固なものとしていった。 但し、1951年に日本が連合国側諸国と締結した平和条約(サンフランシスコ平和条約)では日本の「台湾・澎湖諸島における権利、権利名義と要求の放棄」(第2条第2項)しか取り決められておらず、更には日華平和条約においても「台湾における日本の領土権の放棄」(第2条)しか明記されていない。その為、現在に至るまで国際法的には台湾の主権移転対象(帰属先)については不明確な状態にあり、これを根拠に台湾の国際的地位はまだ決まっていないとする「台湾地位未定論」も唱えられている。
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