中国国民党での台頭と失脚とは? わかりやすく解説

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中国国民党での台頭と失脚

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 08:16 UTC 版)

許崇智」の記事における「中国国民党での台頭と失脚」の解説

1924年民国13年1月許崇智国民党第1回全国代表大会出席し中央監察委員中央執行委員会軍事部長選出された。その後許崇智の軍は建国粤軍に再編され許崇智は同軍総司令第2軍軍長に、蔣介石第2軍参謀長それぞれ任命された。1925年民国14年1月許崇智率いる粤軍と蔣介石率い黄埔軍官学校学生軍は、東江陳炯明攻撃し3月までに陳炯明勢力を完全に掃討した。孫文死後の6月広西軍劉震寰雲南軍の楊希閔反乱すると、許崇智蔣介石はこれをも殲滅している。 同年7月1日広州国民政府成立すると、許崇智国民政府常務委員軍事部長就任し、さらに広東省政府主席、同軍事庁長までも兼ねた8月20日廖仲愷暗殺されると、汪兆銘汪精衛)・許崇智蔣介石の3人で構成される特別委員会組織され、これが政治・軍事全権握った。しかし9月になると、蔣介石汪兆銘支持取り付けた上で電撃的許崇智側近逮捕し、その配下の軍を武装解除してしまう。こうして、許崇智国民党内での指導的地位喪失したのである。 これ以後許崇智は、国民党長老として声望地位有したものの、もはや国内政治・軍事重大な影響与え存在ではなかった。国共内戦の後に香港移り、「第三路線」を標榜する活動続けた1965年1月25日心臓病により死去享年79(満77歳)。

※この「中国国民党での台頭と失脚」の解説は、「許崇智」の解説の一部です。
「中国国民党での台頭と失脚」を含む「許崇智」の記事については、「許崇智」の概要を参照ください。

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