中国における爆竹
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/16 21:18 UTC 版)
爆竹は漢代に行われていた悪鬼及び疫病の駆逐するため竹を焚火にくべて爆ぜさせた風習に由来する。『神異経』・『西荒経』によれば、西方の山奥に人間の姿をした一本足の怪物山魈が棲んでおり、山魈に出会った人間は高熱を発し苦しみながら死んで行くとされていた。伝承では春節の際に山魈は山から人里に下りてくるため、人々は春節を非常に恐れていたとされる。 ある日とある農民が山で竹を伐採し家に帰ろうとした際、肌寒く感じた農民は竹に火を付けて暖を取っていた時に山魈と遭遇した。驚いた農民は火の付いた竹を捨てて逃げ出したが、山魈も火のついた竹がパチパチと音を立てていることに驚き山に逃げ戻った。山魈の弱点を知った人々は毎年正月になると各家庭で竹を燃やし、それに恐れをなした山魈は再び人里に現れ人々を苦しめることは無くなったとされる。 南北朝時代では竹を燃やす原始的な爆竹は一般的となっており、『荊楚歳時記』では上記の故事が紹介されている。 火薬が発明されると火薬を使用した爆竹も作られるが、爆竹の用語はその後も使用されていた。唐初、某地方で毎年のように疫病が発生し、李田という人物が火薬を竹筒に詰めて爆発させ邪気を払ったとされる。それまでの爆竹より大きな音の出る爆竹は人々に受け入れられ、宋代になると竹筒の代わりに紙筒を用いた現代と同様の爆竹が作成されるようになった。また宋代には爆竹を串状に連ねた編炮が製作され、爆竹の音が長時間持続するさまが人が鞭を打つ音に似ていることから鞭炮とも称されるようになり、現代中国語にもこの言葉が継承されている。 明から清代にかけて爆竹は更なる発達を見せ、『紅楼夢』などの小説にも爆竹に関する記載が見られ数多くの種類があったことが推察される。またこの時期になると山魈を追い払うという本来の意味以外に、神を迎える(迎神)として使用されることが多くなり、中国では春節以外に元宵節や端午節、中秋節といった他の節日や、結婚や誕生日、商店の新規開店などの祝い事に欠かせない道具として用いられている。特に春節の祝賀として爆竹を用いる光景は、日本においても各地の中華街で見ることができる。 現在中国では各種爆竹が生産され、地方都市を中心に販売されている。小型なものとしては直径3mm、長さ1cm程度の商品から、大型のものとしては直径1cm、長さ5cmの商品などが販売されている。大型爆竹に関してはその威力が強いため取扱上の問題から毎年死傷者の発生が報道されており、また北京市や深圳市などの大都市ではその使用に一定の規制が行われている。安全性での問題や深刻化する大気汚染への懸念もあり、爆薬を使わない「電子爆竹」や「爆竹アプリ」なども使われるようになっている。
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