世界挑戦とPCWRC制覇
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「新井敏弘」の記事における「世界挑戦とPCWRC制覇」の解説
1997年から[要検証 – ノート]はWRCに活躍の場を移す。2000年、ヨーロッパラリー選手権 (ERC)「ツール・ド・ルクセンブルク」で優勝。ERCで日本人が優勝したのは初めて。WRCにも7戦出場し、FIAチームズカップを手に入れた。 2001年、スバルとワークス契約を交わし10戦に出場。キプロスでは自己最高位の4位入賞。2002年、プロダクションカー世界ラリー選手権 (PCWRC) に本格参戦。スバルからはアクロポリス、ドイツの2戦に出場した。 2003年のPCWRCでは6戦に出場し3勝を挙げるも、ランキング2位に終わる。2004年のPCWRCでは最終戦オーストラリアの優勝のみだったが、2年連続でランキング2位となった。 2005年11月、オーストラリアにて優勝を飾り、日本人としては初となるPCWRCのチャンピオンを獲得。同時に、国際自動車連盟 (FIA) が公認する世界選手権クラスの自動車競技では、日本人初のワールドチャンピオンということにもなった。 2006年は連覇を狙ったPCWRCで総合6位に終わった。ターマックでのスキルアップを狙い、スーパー耐久に「TOSHI ARAI」の名で数戦参戦。また、ラリージャパンにはWRカーのインプレッサWRC2006で参戦した。 2007年は2度目のPCWRCの年間総合優勝を果した。 2008年は新型インプレッサで引き続きPCWRCに参戦し、開幕戦スウェーデンでは総合6位に入るも、その後はトラブルが続き4戦連続リタイアとなった。ラリージャパンでは総合3位に入賞したが、年間では総合10位に終わった。 2009年もPCWRCに参戦。アルゼンチンでは総合3位、ラリーGBでは総合2位に入るも年間では総合5位に終わった。2010年も引き続きPCWRCに参戦。メキシコは総合2位、フランスでは総合3位に入った。この年も年間は前年と同じく総合5位に終わった。 2011年にはグループR4のWRX STI R4でインターコンチネンタル・ラリー・チャレンジ (IRC) に参戦。序盤は苦戦を強いられるも、終盤のスコットランド、キプロスとプロダクションカップ優勝を果たし、初年度にも関わらずプロダクションカップのチャンピオンに輝いた。また同年10月には鈴鹿サーキットで行われた世界ツーリングカー選手権 (WTCC) 日本ラウンドにスポット参戦するなど、サーキットレースへの参戦も増加している。 2012年も引き続きIRCに参戦。プロダクションカップ2連覇を狙うもランキング2位に終わった。しかし最終戦キプロスではS2000勢に割って入り総合3位入賞を果たした。2013年はIRCを統合したヨーロッパラリー選手権 (ERC) に参戦。
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