下関大丸時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 03:24 UTC 版)
1950年(昭和25年)9月25日に大洋漁業(マルハニチロの前身)や林兼産業などのマルハグループが創業の地である下関市に大丸(現在の大丸松坂屋百貨店)と提携して株式会社下関大丸を設立し、同年11月1日に林兼産業の本社の近隣にあった大和町貿易ビルで開店したのが始まりである。 1959年(昭和34年)12月1日には下関駅西口に店舗を移転・拡張を図るなどして下関を代表する大型店に成長し、1970年(昭和45年)10月のニチイ(現在のイオンリテール)などのライバルとなる大型店の進出に対抗して競争を繰り広げた。 1977年(昭和52年)10月21日には、下関商工会議所や地元の商店街などと共同で下関駅東口にショッピングセンター「シーモール下関」を開業し、そのキーテナントとして店舗を再度移転して拡張を図った。 このシーモールへの移転の際に大丸からの出資を受け入れてマルハグループと大丸の合弁事業化したが、マルハ創業家の中部一次郎が引き続き社長を務め、1998年(平成10年)10月に横浜ベイスターズが優勝した際にはマルハグループの一員として優勝セールを行うなどマルハグループとしての運営も引き続き行われていた。 2001年(平成13年)8月31日付で林兼産業が保有する全株式を譲渡したことによってマルハグループが保有する株式が0になって大丸が100%出資する完全子会社となり、それに伴って9月17日にマルハグループを代表していた中部一次郎は31年7カ月に及ぶ社長在任に終止符を打って退任し、大丸から派遣された社長が就任することで名実共に完全に大丸の傘下に入ることとなった。 バブル崩壊後の消費低迷や郊外のショッピングセンターとの競争による中心市街地の小売売上の低迷に加えて、僅か数キロの海を隔てて向かい合う北九州市の小倉地区の井筒屋、コレット、リバーウォーク北九州などとの競争の激化や高速バスの発達に伴う福岡市などへの消費流出に苦しみ、1997年(平成9年)2月期には売上高284.21億円だったのが、2000年(平成12年)2月期には255.55億円、2012年(平成24年)2月期には179.74億円と落ち込み、他の地方百貨店と同様に売上はピーク時に比べて大きく減少しているが、利益面で見ると2012年(平成24年)2月期で営業利益4.90億円、経常利益4.04億円、当期純利益2.05億円と1997年(平成9年)2月期の経常利益4.90億円に比べて大きく落ち込まない水準を確保している。
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