下関工場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/22 07:10 UTC 版)
創業時の工場は、下関駅の北側に存在した。1936年に彦島本村町に第二工場を建設、1938年には彦島南端の田の首に第三工場を建設した。下関工場では、1947年建造の関丸以降、1961年までに32隻の捕鯨船を建造、運搬船、トロール船なども多数建造した。その後、捕鯨の衰退により、1965年を最後に捕鯨船の建造を終了、その後はフェリー、特殊船などを建造した。 第二工場は、新林兼を経てサンセイが継承し、船舶修理を中心に稼働しており、捕鯨船団の目視採取船の定期修理も受注している。現在も戦前に作られた階段状の側壁が特徴のドックが使用されている。第三工場の跡地は建屋が放置され廃墟となっていたが、2002年に解体された。サニックスが廃プラスチック発電所を中心とした複合施設「彦島リサイクルガーデン」の建設を計画、2004年に稼働開始を予定したが、反対運動により建設は撤回された。その後、船舶用装置・構造物メーカーの共立機械製作所が進出し同社の下関工場となった。
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