三原山噴火災害による避難輸送
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 01:59 UTC 版)
「東海汽船」の記事における「三原山噴火災害による避難輸送」の解説
1986年(昭和61年)11月に発生した三原山(伊豆大島)噴火の際には、すべての便が運航を休止して伊豆大島へ向かい避難民を輸送した。 大島支店長の判断で稲取行きの高速船「シーホーク」による臨時便の運航を決定し、まず観光客400人を避難させた。その後、社長の決断により、まず式根島行きの臨時便(さるびあ丸)を欠航させて伊豆大島に向かわせたほか、定期便(すとれちあ丸)も急遽、乗船していた旅客を下船させた上で救援に向かうなど、使用可能なすべての船舶を稼働させ、全社を挙げて救出活動に協力した。なお、国土庁の対策本部による初動がほとんど機能しない中で、総理大臣官邸に設置された対策本部から同社宛に避難船提供要請があった時点で、東京発の一番船(さるびあ丸)は救援に向かうべくすでに東京湾外にあった。 噴火2時間後の18時30分、東京都は同社および海上保安庁・海上自衛隊に避難のための船舶の出動を要請したが、これに対し避難船として最初に接岸したのは高速船「シーホーク2」で、19時02分に388名を乗せ元町港から稲取に向かっている。同日22時50分、大島町長は全島民に島外への避難を指示し、10,526名の避難対象者の輸送が翌6時54分(熱海行き「シーホーク2」最終便)に終了した。避難輸送の内訳は、東海汽船7,407人・海上保安庁1,926人・海上自衛隊849人・漁船265人・その他79人となっている。同社が避難輸送の主たる役割を担ったことについては、離島からの避難という状況において、大型客船の輸送力と高速船の機動力が大きな役割を担ったことを実績で示している。 噴火7ヵ月後の1987年6月22日、昭和天皇が見舞いのため伊豆大島を訪問したが、このうち復路は「シーガル」を利用した。なお、これが昭和天皇の生涯最後の船旅となった。 避難輸送における各船別の実績出航日時間船名避難先輸送人員21日19時02分 シーホーク2(第1便) 稲取 388人 20時13分 シーガル 熱海 386人 20時45分 シーホーク2(第2便) 稲取 400人 21時37分 かとれあ丸 伊東 1,300人 23時08分 シーホーク2(第3便) 稲取 334人 22日0時19分 さるびあ丸 東京 2,092人 3時05分 すとれちあ丸 東京 2,435人 6時54分 シーホーク2(最終便) 熱海 72人
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