万延元年の5か条の郡中議定
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「郡中議定」の記事における「万延元年の5か条の郡中議定」の解説
天保13年(1842年)の議定制定の後、10年以上にわたって議定が結ばれなかったが、これは万延元年に結ばれた議定の前文によれば飢饉・凶作によって議定が中断されたことが理由とされる。しかし、実際には郡中惣代・大庄屋たちの間での意見対立が原因だったとする説もある(青木美智男『近世非領国地域の民衆運動と郡中議定』)。この年の郡中議定の再興は、幕府の寒河江代官所管下の村々を代表する郡中惣代が主導して行われた。その議定の内容は。 無宿者、不良の者を村内に住まわせないこと 凶作の時には、郡内で協力して、被害の無かった村々から食料が不足している村へ米穀を融通する。そして、穀物類の郡外への移出を禁止してもらうよう、幕府や各領主へ願い出る 商人たちが他領に売るために郡内の米を買い占め、そのせいで米価が騰貴した時は、領主に届け出て取り締まってもらうようにする 郡内で訴訟や争いごとが近年増加しているが、領主が異なる住民同士の諍いは、話し合いで決着がつかず、江戸の幕府法廷に出訴することもある。そうなれば訴訟に費用がかさんで、当事者だけでなく、当人が住む村や村山郡全体にまで影響を与えかねない。そのため、争いごとがあった時は、地域の有力者たちが仲裁に入り和解が成立するよう取り計らう 今後の会合は、毎年10月に幕府の代官所がある場所で開くこととするが、大名領内で開催しても構わない。1つの領内だけの問題であっても評議してほしいことがある場合は幕府領の会所に申し出ること。解決のためには何度でも会合を開き、誠意をもって評議をまとめること であった。付則として、会合の席上では年長者を敬い、非礼の無いようにする。驕ることもへつらうこともなく、無用の雑談は慎むこと。会合の際の食事は一汁一菜に限り、多額の雑費がかからないようにすると決められた。そして、この議定は各領主から承認されたものであり、過去の議定の精神を受け継いだものでもあって、末永く遵守されるべきことを確認し、郡中惣代や大庄屋たちが末尾に連署していた。 その後、幕府領の寒河江代官所管下の村々の村役人が添え書きをして連署した議定も作られた。添え書きには 毎年の会合で決められた議定内容は、郡全体の利益を考えて取り決めたことは、その中に個々の村にとって不都合な内容があっても、1年限りのことなので我慢すること どうしても納得がいかない時は再協議を要請できるが、そこで決まったことについては従うこと これらは村ごとに記録を残し、村役人交替の際には後任者に申し送りして、末永く違反しないようにすること が記されていた。
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