万度型山車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/04 00:01 UTC 版)
これは寛政ごろにあらわれた山車といわれ、二輪の車の上に立てられた柱に下から布を垂らした傘、その上に万度(まんど)と称する箱型のもの、その上に石台と呼ばれる岩を模した円盤状の張子、さらにその上に人形や造花等を飾るというもの。造花を飾ることが多かったので花山車(はなだし)とも呼ばれた。 万度というのは太神楽で使われたもので、棒の先に「百万度」と書かれた箱を付けさらにその先には御幣がついており、これでお祓いを受けると寺社に百万度お参りした事になったというものである。その万度を大きくし重量を持たせ様々の飾りを付けて手に持った「手持ち万度」というものが最初に現れた。これを当時の町の力自慢の若者たちがひとりで持って祭礼で練り歩いたという。ところがこの手持ち万度は風紀上問題ありとして幕府より禁じられてしまう。ならば一人以上で持つならいいだろうと、万度の柱の下に台と担ぎ棒をつけ、神輿のように担いで練り歩いた担ぎ万度という物が現れたが、まもなく担ぐのをやめ万度を二輪の台車の上に乗せ、やはり牛で引かせるようにした。これが万度型山車の起りである。ただしこの山車は古くは万度の下にある傘のほうが注目されて笠鉾(傘鉾)の山車と呼ばれていたようである。また万度から上の飾りだけで傘の付いていない山車もあった。 静岡県掛川市の遠州横須賀三熊野神社大祭で曳き廻される「禰里」(ねり)と呼ばれる山車は、この万度型山車とほぼ同一の形態である。秩父夜祭に引き出される笠鉾は、万度型山車を発展させたものである。
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