一極支配 (1990年〜2001年)
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「アメリカ合衆国の歴史」の記事における「一極支配 (1990年〜2001年)」の解説
冷戦が終わると、まず最初に直面した問題は中東問題である。1990年8月2日にイラクがクウェートに侵攻したことに対して、アメリカ軍を中心とした多国籍軍が編成され、1991年1月17日から2月28日までに亘って多国籍軍とイラク軍が戦争を行い、クウェートをイラクから解放することに成功した。これが湾岸戦争である。湾岸戦争はその現在まで続く中東問題の端緒ともなった。また、湾岸戦争が起こった1991年にはソビエト連邦が崩壊し、自由主義陣営の中心であるアメリカの勝利を意味していたが、アメリカの経済は双子の赤字(財政赤字と貿易赤字)と呼ばれる状態に苦しめられていた。 ブッシュの後に登場したビル・クリントン(民主党)はこうした経済的不況を解消することに努力し、クリントンが大統領職を去るときにはこの状況は完全に解消され、アメリカはこれまでに無い好景気を謳歌することができた。これには副大統領のアルバート・ゴアが主張する情報スーパーハイウェイ構想など、IT産業を積極的に後押しした事もその助けとなっている。アメリカは1980年代から軍事目的として電話回線を使用した情報網の整備を行っており、1990年代にパソコン通信やインターネットが民間によって急速に広がる下地となった。マイクロソフトやApple Computerといった米国企業が急成長し、ハイテクの独占が進んだ。 1993年にはビル・クリントンが大統領に就任し、1990年代の繁栄を謳歌した。このクリントンの時代は、ソビエト連邦が崩壊した後の、米国による「一極支配」と呼ばれる時代になった。 クリントン時代にはファーストレディであるヒラリー・クリントンの影響から女性の権利を大幅に認めるなど、ブッシュまでの保守的な状況から、ある程度リベラルな方向へ巻き戻す試みがなされた。対外的には、ソマリアの国連平和維持活動(PKO)が地元民兵に襲撃されて米兵に多数の犠牲を出した事件によって、海外派兵を控える意見が大きくなり、またコソボ紛争によるユーゴスラビア連邦共和国や、イラクへの空爆、アフガニスタン・スーダン攻撃は地上軍を伴わない比較的小規模な戦闘で、大きな対外軍事行動による出費がなかったこともクリントン政権には幸いした。
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