一代貴族法の成立
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1957年10月30日から31日の2日間、テーナム卿提出の貴族院改革案の提出を政府に求める動議を議題に保守党政権マクミラン内閣のコモンウェルス担当大臣(英語版)第14代ヒューム伯爵アレック・ダグラス=ヒュームと、野党労働党の初代アトリー伯爵クレメント・アトリー、自由党の初代サミュエル子爵ハーバート・サミュエルといった与野党の貴族院重鎮たちの会合がもたれた。この場でヒューム伯は一代貴族法案を提出することを言明した。この宣言通り、5週間後にヒューム伯は一代貴族法案を貴族院に提出した。委員会で修正案の形で論じられたが、結局政府の原案通り可決された。その後庶民院に送付されたが、バーナード・クリックによれば庶民院の議論は「活気のない、思慮のない」ものであったという。しかし法案は庶民院も通過し、1958年4月30日にエリザベス女王の裁可を得て一代貴族法は成立した。その内容は以下のとおりである。 貴族院に出席しかつ評決に加わる権利を伴う一代貴族創設のための措置に伴う法律 第一条 (貴族院に出席しかつ評決に加わる権利を伴う一代貴族創設のための権限)1項 常任上訴裁判官任命に関する国王陛下の権限を毀損することなしに、国王陛下は勅許状により本条第2項に掲げる資格を伴う一代限りの貴族の身分を何人にも授与することができる。 2項 本条に基づいて貴族の身分を取得する者は その者の生存中に限り (a)勅許状によって任命される形式の男爵の爵位、および(b)貴族院に登院すべき招集状を受け貴族院に出席しかつ評決に加わる資格を得、その者の死亡と共に当該身分を喪失するものとする。 3項 女性も本条に基づいて一代貴族の身分を取得できる。 4項 本条に基づいて取得した貴族院に登院すべき招集状を受け貴族院に出席しかつ評決に加わる権利は、その取得者が法によって無資格者となった時は直ちに失われるものとする。 第2条(略称)本法は1958年一代貴族法として引用される。 法律の中にある「法により無資格者となる」ケースとしては、大逆罪などの重罪で貴族院から有罪判決を受け、死刑、終身刑、懲役、2か月以上の禁固に処せられた場合、貴族院が議員資格をはく奪する決定をした場合、英国籍を失った時、破産した時、議会宣誓を拒否した場合がある。 一代貴族の任命は首相の助言に基づく女王(国王)の勅許状によって行われ、首相は推挙にあたっては事前に名誉精査委員会(Honours Scrutiny Committee)の議を経て、他党リーダーにも候補者の推薦を求めるという形で運用が始まった。
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