ヴァーチャルアーティスト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 06:05 UTC 版)
「TWO-MIX」の記事における「ヴァーチャルアーティスト」の解説
ヒット曲を数多く出したTWO-MIXであるが、テレビ出演は皆無に等しく、2000年頃に2回顔出しした程度である。理由について永野は「CDを超える音源をテレビで再現することは不可能である」と雑誌のインタビューに答えている。 ライブ活動に対しても消極的な姿勢をとっており、過去にファンクラブのイベントで行われた程度に過ぎない。 CDジャケットやライナーノーツでも、本人達の写真は加工されていたり、判別しにくいサイズで掲載されている。またプロモーションビデオはそのほとんどがCGで作られ、本人達が出演しているものがほとんどないため、認知度はかなり低い。そのため、日本テレビ系で放送された『速報!歌の大辞テン』で初めて紹介された時は「正体不明のバンド」として紹介されたというエピソードがある。 ボーカルが声優の高山みなみであることも「JUST COMMUNICATION」がヒットしていた当時でもあまり知られておらず、当時所属していたキングレコードの関係者も知らなかったという。また、「JUST COMMUNICATION」のリピート注文枚数を毎回2万5000枚と決められていたため、最終的に50万枚のヒット曲にも関わらず、オリコンチャートで20位にも入らなかった。 これらはデビュー当時所属していた「イズムアーティスト」の方針で、「ヴァーチャルアーティスト」という触れ込みで売り出し、所属メンバーの名前はアピールされていなかったためである。永野は「隠すつもりもバーチャルにするつもりもなかったんですけど、高山さんの声優としてのスタンスを守るためにTV出演をすべて断ったり、レコード会社も最初、僕らに関心を示さなくて告知しなかった為に、一般的にバーチャル扱いになっていた」と語っている。また、当時TWO-MIXを取り上げてくれるメディアは『オリコン・ウィーク The Ichiban』をはじめ、『月刊歌謡曲』と『CDでーた』の三誌しかなく、一般的に知名度が低かったことに加えて電話インタビューでも「本当に自分たちで曲を作ってるんですか?」と訊かれることがあったという。 「JUST COMMUNICATION」のヒット後、1年間にアルバム2枚、シングル3枚、ミニアルバム1枚というハードな楽曲制作を強いられたのもかかわらず、どんなに作詞や作曲、編曲しても報酬は月5万円だったといい、プロデュース印税や歌唱印税はなぜか貰えなかったという。そのため、当時永野は貯金を切り崩して生活しており「ヒットしてなかったら高山さんはともかく僕は死んでたと思います」「戦い続けた日々」と語っている。
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