レーガン図書館に埋葬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 07:22 UTC 版)
「ロナルド・レーガンの死と国葬」の記事における「レーガン図書館に埋葬」の解説
レーガン図書館での埋葬式にはジョージ・シュルツら著名な高官を含めて700人が招待された。ワシントンから飛行機で来たマーガレット・サッチャーはカリフォルニア州知事アーノルド・シュワルツェネッガーの隣に座った。元カリフォルニア州知事のピート・ウィルソンや元ロサンゼルス市長のリチャード・リオーダン(英語版)に、ジェーン・ワイマン(レーガンの最初の妻)やカーク・ダグラス、チャールトン・ヘストン、ミッキー・ルーニー、ドロレス・ホープ(英語版)(ボブ・ホープの未亡人)、マーヴ・グリフィン、トミー・ラソーダ、ウェイン・グレツキー、スコット・バイオ(英語版)、ボー・デレク、トム・セレック、パット・セイジャック、ウェイン・ニュートン、シナトラ一家らハリウッド俳優やその他のセレブリティも出席した。レーガンの子女のマイケル・レーガン(英語版)、パティ・ディヴィス(英語版)、ロン・レーガン(英語版)がそれぞれユーロジー(弔辞)を述べた。 弔辞が終わり、アメリカ空軍のゴールデン・ウェスト・バンドは「ラッフルズ・アンド・ファンファーレズ(英語版)」を4回演奏し、アメリカ陸軍合唱隊は「星条旗」を歌った。棺が墓地に搬送されて台座の上に置かれる時にバグパイプ吹奏者のエリック・リグラー(英語版)が「アメイジング・グレイス」を演奏した。陸軍兵士が弔砲を発射し、ビューグル吹きは「タップス(英語版)」を演奏した。この時にアメリカ海軍のF/A-18戦闘機4機は「ミッシングマンフォーメーション(英語版)」と呼ばれる追悼飛行を実施した。また、1981年のロナルド・レーガンの第一期大統領就任式(英語版)時に連邦議会議事堂上部に掲揚された旗は儀仗兵によって折り畳まれ、空母『ロナルド・レーガン』の司令官ジェームズ・シモンズ(英語版)がナンシー夫人にプレゼントした。 旗を受け取ったナンシー・レーガンは棺に寄り添い、手でなでるしぐさを数分間繰り返した。彼女は棺に頬を寄せると、突然泣き崩れた。『ワシントン・ポスト』は「1週間にわたる憂うつな儀式の間じゅうストイック」であったが、「夫の棺を覆っていた旗を手渡された後に彼女は悲しみに負けた」と描写している。彼女は泣きながら棺にキスをし、「あなたを愛してるわ」と言った。3人の子女は母親を取り囲み、彼女を慰めようとした。ナンシー夫人はその後に折り畳まれた旗を握りしめ、彼女の護衛部隊と一緒に去った。レーガンの子女が別れを告げると、軍楽隊はヴィクトリア朝の賛美歌「My Faith Looks Up to Thee」を演奏し始めた。葬儀出席者は列を成して棺を通り過ぎる機会を得た。 棺は地下納骨所に納められ、太平洋標準時(PDT)で翌12日の午前3時前ぐらいには閉鎖された。馬蹄型のモニュメントの外面にはロナルド・レーガンの言葉(1991年)が刻まれている。 「 I know in my heart that man is good, that what is right will always eventually triumph, and there is purpose and worth to each and every life.(私は心から信じています。人間は善であり、正義はいずれ必ずや勝利を収める。そして、すべての人生に目的と価値があることを。) 」
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