ウェイン・ニュートンとは? わかりやすく解説

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ウェイン・ニュートン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/09/15 02:37 UTC 版)

ウェイン・ニュートン
Wayne Newton
2005年
本名 Carson Wayne Newton
生年月日 1942年4月3日(74歳)
出生地 アメリカ合衆国 バージニア州ロアノーク
職業 歌手俳優

ウェイン・ニュートンCarson Wayne Newton, 1942年4月3日 - )は、アメリカ合衆国ポピュラー音楽歌手俳優バージニア州ロアノーク出身で、ポウハタン族チェロキー族など、複数のインディアン部族を祖先に持つ。

来歴

40年以上にもわたって、ラスベガスで3万回以上ものソロ・ショーを行い、「ラスベガスの帝王」または「ミスター・ラスベガス」と称されるエンターテイナーで、エルヴィス・プレスリーフランク・シナトラをしのぐ観客動員力を誇った。

ニュートンは、10代のころ兄と「ニュートン・ブラザーズ」というコンビを結成し活動していたが、歌手音楽プロデューサーのボビー・ダーリン(Bobby Darin)に見出され、ソロ歌手として飛躍した。「ダンケ・シェーン(Danke Schoen)」や「ブルー・レディに紅いバラ(Red Roses for a Blue Lady)」などがヒット、190センチ近い長身でありながら、そばかす顔の童顔で少女のようなユニークな歌声の持ち主というギャップが人気を呼んだ。変声期を迎えてからは、口髭を蓄え、どちらかというとセクシーで男性的な大人のエンターテイナーに路線転向した。

1992年12月12日付のキャッシュボックスの「Top 100」で、当時大ヒットしていたホイットニー・ヒューストンの「オールウェイズ・ラヴ・ユー」を抑えてニュートンの「The Letter」が1位を獲得した。その一方で、「The Letter」はBillboard Hot 100ラジオ&レコーズでは1位はおろかチャートインさえしなかった。

ニュートンは俳優として『007 消されたライセンス』や『ベガス・バケーション』に重要な役柄で出演したばかりではなく、プロデューサー、実業家としても成功を収めた。また、出版した自伝は全米でベストセラーになった。13種類もの楽器を演奏するマルチ・プレーヤーでもある。

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