ルテリエに関する評言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/09 04:46 UTC 版)
「レオン・ルテリエ」の記事における「ルテリエに関する評言」の解説
アラン:「頑丈な体格で、馬の如き頭をした、朴訥たる御仁」「もうひとりの賢者」「二人(*アランとルテリエ)とも共通して、我らが共通の「先生」(*ラニョー)を除いては、この世の何ものも恐れたこともなければ敬ったこともなかった」「(*ルテリエのノート「神の存在について」を読んだアランの述懐) 私が生徒の時の記憶にはなかった何か抽象的で、砂漠を思わせるものもあった。私とは別のタイプの生徒で、また別のまじめさを持った彼(*ルテリエ)は、飾りはすべて、その石ころだけけの路上に投げ捨てたのであろうか。(略)この新たなる弟子は、その貪るが如き凝視でもって常に最後の言葉を待ち望み、その分析を少しずつこの世界の外へ引き寄せて、弁証法的思考の極限まで持って行ったのであろうか。」 シモーヌ・ヴェイユ:「たとえ晩年のルテリエが進歩よりは秩序を、人類よりは祖国(パトリ)を優先したかのような様相を呈したにせよ、この様相に妨げられて彼のうちに民衆の魂の典型(モデル)を認め損なってはならない」「(*漁師の時)克服しがたくみえる疲労と苦痛の日々を克服して人間の底力を知るにいたったので、人間は自由でない、人間精神など存在しない、真理はひとつの語にすぎない、などを論証する華々しい推論によっても、とうてい幻惑され」ず「学士院流(アカデミシアン)の饒舌にも頑として耳を貸さなかった。さらに懐疑主義のなかに誤謬ではなく怯懦を認めることもできた。」「横溢する力(フォルス)」は「青年期には強者に向かうときに往々にして暴力へと転じた」「こういった人間が考えはじめると苦労はつきもので、かならず内的な葛藤が生じる。とりわけ民衆のなかで育った人間にあっては、その思考は修辞(レトリック)で規定される以上に労働者らしい活力で養われている。ゆえに学究の歳月において生の意味をみいだせず」「思考のこうむった痛手は、彼の生をときに耐えがたいものとした。」「かかる煩悶にみちた自省の幾星霜をへて」「ようやくラニョーとめぐりあい、確信と歓びの充溢を得た。だが平和は得られず、師ラニョーは彼を『おのれの思考の殉教者』と命名した。」「ルテリエは民衆らしい荒っぽい無骨さでラニョーの諸概念を擁護したので、往々にして非寛容の様相を呈するほどだった。」「真に強靱なすべての人間と同様に(*ルテリエにおいて)、力はいわばその究極のかたちを愛のうちに、それも人種、力、精神、さらに徳でさえも不問に付された個々の人間への愛のうちにみいだした。」「彼が人びとの記憶において生きるにあたいするのは、実践によらずには形成しえないおそらくは唯一の概念、至高の価値とみなされた個人という概念を形成したからにほかならない。彼はつねに成就すべき仕事を自身よりも愛し、さらにはいかなる仕事にもまして個々の人間を愛した。」
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