ラマーディーの悪魔
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 02:06 UTC 版)
「クリス・カイル」の記事における「ラマーディーの悪魔」の解説
2003年にイラク戦争が始まると、2009年に除隊するまで4回に渡りイラクへ派遣され、ナシリヤ、ファルージャ、ラマーディー、サドルシティとイラク戦争の中でも激戦地を転戦。イラク軍およびアルカーイダ系武装勢力の戦闘員を160人(公式戦果のみ、非公式255人)を殺害した。その間に多数の叙勲を得て、味方からは「史上最高の狙撃手」、敵側からは「悪魔」と評され懸賞金が懸けられた。狙撃手となったのは1回目の配備後のスナイパースクールを経てからであった。 最初に狙撃した相手は、イラク戦争中に海兵隊の前進経路上に手榴弾を仕掛けていた女性(子供をつれた母親)であり、彼によるとそれが最初で最後の女性の標的であった。 著作のなかでは子供がどうなったのか一切書かれていないが、これについては映画化に際してクリント・イーストウッドが本人に会って話をした時に子供も同時に殺害していたことを告白している[要出典]。これは映画のなかでも重要なシーンとして登場する。 激戦となったファルージャの戦いにおいては、地上を掃討する海兵隊を建物の屋上から狙撃で援護するという「退屈な」任務に就いたが、特殊部隊と比べてあまりに稚拙なテクニックで屋内に突入し、そのたびに武装勢力の反撃を受けて死傷していく海兵隊員たちの姿を見ているうちに我慢できなくなり、命令を無視して地上で海兵隊と共に掃討作戦に参加するようになった。共に戦うだけでなく休憩時間にもテクニックを教え込んだり練習をさせたりしたが、若い海兵隊員たちは皆文句を言わずに教えに従ってくれたという。 ある時、撃たれた海兵隊員を助けようとして抱きかかえたものの、敵の銃火の中で身動きが取れなくなってしまい、まだ10代の海兵隊員が「母さんに僕が苦しんで死んだと言わないで」と言い残して絶命してしまった。励ましの言葉を言おうとした瞬間だったという。後に仮想現実で戦闘を追体験することがPTSDの治療に役立つかどうかの実験を受けた際に、若い海兵隊員が戦死するシーンがあり動揺したことが著作の中で語られている。更にこの仮想現実での戦闘体験では戦闘時は血圧と心拍数が下がり、戦闘が終了すると心拍数が上がるという奇妙な反応を見せた。 アメリカに帰還して妻のタヤを連れて自分の車のオイル交換に行ったときに、客の一人がカイルを見つけて「ファルージャの時に助けてくれた恩人だ」と父親と共にお礼を言ってきたこともあった。 ラマーディーの戦いでも、目の前で親友のライアンが武装勢力の攻撃を受け両目を失明したり、仲間が戦死するなどの壮絶な体験をしたためか自分が殺傷した相手を「悪人」と呼び、撃ったことに一切罪悪感は無いとしている。また、もっと敵を倒せればもっとたくさんの味方の命が救えたと書いている。 同じシールズ隊員のマイケル・モンスーアが投げ込まれた手榴弾に覆いかぶさり仲間を守って戦死した際には、葬儀の手配や遺体が帰国した際の出迎えをしている。著作の中ではシールズの伝統で新人隊員だったマイケルを坊主頭にしたときの話が書かれている。なお、マイケル・モンスーアは後に名誉勲章を受勲し、ズムウォルト級ミサイル駆逐艦の2番艦には彼の名前が付けられている。 4度に渡る戦地派遣は心身を蝕み、除隊する頃には体のあちこちの故障や原因不明の高血圧、飛蚊症等に悩まされるようになっていた。
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