ユートピア思想と「迷妄(Wahn)」
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「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の記事における「ユートピア思想と「迷妄(Wahn)」」の解説
本作で描かれたニュルンベルクは、政治的抑圧から「純粋に人間的なるもの」を救うため、『芸術と(による)革命』を志向していたワーグナーにとってのユートピアまたはアルカディア(桃源郷)である。 劇中でユートピア実現に向けて決定的な転回点となるのは、第3幕第1場の「迷妄のモノローグ」である。ここでザックスは、「迷妄(Wahn)なくしてはいかなる事業も起こりえない」と達観し、これを反転させて「多少の侠気(Wahn)がなければ/どんな立派な企ても成就するはずがない」とし、理性や常識、節度の埒を超え出たヴァーンこそがユートピアの原動力であると見なす。 この部分では、ドイツの哲学者アルトゥル・ショーペンハウアー(1788年 - 1860年)との関連が顕著である。ショーペンハウアーの著書『意志と表象としての世界』では、「迷妄」は人間を突き動かしてやまない「盲目の意志」の発露であり、「過度の歓喜や苦痛の根底には常に迷妄がある」としており、このショーペンハウアーの考えをワーグナーは受け継いでいる。しかし、ワーグナーはショーペンハウアーのペシミズムには留まっていない。 イギリスの法律家・思想家トマス・モア(1478年 - 1535年)の『ユートピア』(1516年)では、ウートポス(どこにもない場所)を構想することは常識の立場からすればアートポス(途方もない不条理)、すなわちヴァーンにほかならないという逆説的な認識を示しており、また、モアと親交のあったネーデルラントの神学者デジデリウス・エラスムス(1466/69年 - 1536年)も、モアに献呈した『痴愚神礼讃』(1509年)の中で、モアの名前(ラテン語形 Morus)から狂気(痴愚女神) Moria を思いついたとし、狂気にある種の生産性 を認めていた。 ドイツ語 Wahn は迷妄や狂気あるいは侠気という意味だが、本来 Wonne (歓喜)や Wunsch (希望)などと同じ「至福の希望」を意味する言葉だった。のちに古高ドイツ語の wanwizzi (精神の喪失)に Wahnwitz の綴りが当てられたために両者が混同されるに至った。つまり、ワーグナーは知ってか知らずか、Wahn の古い意味を掘り起こしたことになる。 後年、ワーグナーはバイロイトに建てた自分の邸を「ヴァーンフリート荘(de:Haus Wahnfried)」と名付けており、このモノローグがワーグナー自身の心情吐露であることを示唆している。
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