ユダヤ教徒として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 04:30 UTC 版)
「エリザベス・テイラー」の記事における「ユダヤ教徒として」の解説
ユダヤ教に改宗した後のテイラーは、その生涯を通じてユダヤ教義の普及に尽力した。1959年には、テイラーが多額のイスラエル国債 (en:State of Israel Bonds) を購入したことから、アラブ諸国でテイラーの映画がボイコットされている。また1962年には、『クレオパトラ』の最終ロケ地となったエジプトへの入国を拒否された。このときエジプト政府は、テイラーがユダヤ教信者で「イスラエルの大義を支持している」ためにエジプトへの入国を禁じたという声明を出している。しかしながら『クレオパトラ』はエジプトの大衆に受け入れられ、テイラーのエジプト入国禁止措置も1964年に解除された。 1974年に、テイラーとバートンは二度目となる結婚式をイスラエルで挙げることを望んだが、バートンがユダヤ教徒ではなかったためにこの希望は叶えられなかった。テイラーはユダヤ民族基金 (en:Jewish National Fund) のようなユダヤ教組織に資金援助をしていた。イスラエルへの移住を希望するソ連のユダヤ教徒たちを支持し、1967年に勃発した第三次中東戦争でイスラエルを激しく非難し、シオニズムが人種差別主義だとする1975年の国連総会決議3379号 (en:United Nations General Assembly Resolution 3379) に賛成したソ連に対する抗議として、ソ連訪問を取りやめたこともあった。 1976年のエンテベ空港ハイジャック事件では、人質となったユダヤ人100人以上の身代わりになることを申し入れたこともある。そしてイスラエル軍によって人質のほとんどが無事に解放された後の1977年1月に、テイラーはカーク・ダグラスらともに『エンテベの勝利』というテレビ特番及び映画に出演した。この番組でテイラーは「この事件を見過ごすことはできませんでした。私はイスラエルに強い親近感を抱いており、エンテベの救出作戦が成功することを心のそこから堅く信じていました」と語っている。
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