モノコックボディー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 18:48 UTC 版)
「日本のバス車両」の記事における「モノコックボディー」の解説
航空機の機体構造をバスボディーに応用したもので、航空機技術が飛躍的に発展した1930年代末のアメリカで考案された。桁と外板、外板同士の接合には「リベット」が使われており、強い張りを与えられた「皮」で応力の大部分を負担する。軽量を維持し、強度と剛性を確保するためには、丸みを帯びた外観と、開口部が少ないことが必須となり、他の構造に比べ、設計やスタイリングの自由度は少ない。 日本では敗戦後、軍需産業を営む他の企業と同様、GHQの命により、旧中島飛行機も会社の解体と航空機の製造を禁じられた。その内の東京富士産業(後の富士重工業、現スバルカスタマイズ工房)は、生き残りをかけた民需転換を模索する中で、航空機技術を活用したバスボディーの開発に乗り出した。1949年(昭和24年)に、日本初のフレームレスモノコックボディを採用したふじ号を完成させ、以降、長く国内のリーダーカンパニーの地位にあった。 西日本車体工業は、太平洋戦争末期に海軍の試作戦闘機、震電の設計を手がけ、既に解散していた九州飛行機のOBを集め、丸窓と呼ばれる新型バスを完成させた。窓の四隅を丸くすることで応力の集中を防ぎ、関西のバス事業者から「西工のバスは力学的に理に適っている」との評価を受けていた。 他に川崎航空機、呉羽自動車工業、金産自動車工業も航空機製造メーカーの転換組で、やがてこれらのメーカーが各シャーシメーカーと提携を結び、ラダーフレームの上に車体を載せることしかできない、ローカルコーチビルダーを駆逐して行くことになる。 一般的な材質はスチールであるが、1959年(昭和34年)5月、外板のみをステンレスとしたセミステンレスカーが札幌市営バスで登場している。
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