ミュンヘン・フィルとの活動
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「クリスティアン・ティーレマン」の記事における「ミュンヘン・フィルとの活動」の解説
2004年10月29日、音楽総監督就任披露演奏会で取り上げたのはブルックナーの交響曲第5番であった。ブルックナーの作品はティーレマンの得意とするところであるが、ミュンヘン・フィルが本拠地とするガスタイク文化センター内のフィルハーモニー・ホールのこけら落とし公演でも演奏された曲であり、その指揮を執るとともに楽団の黄金時代を築いたセルジュ・チェリビダッケが得意とした曲の一つでもあったことから、ミュンヘン・フィルにおけるブルックナー演奏の歴史を受け継ぐという決意が込められていると言われる。就任演奏会での演奏はCDもリリースされており、ティーレマンとミュンヘン・フィルによる他の録音とともに高く評価され、今後もブルックナーの交響曲全集の完成が計画されている。 ティーレマンはベルリン・ドイツ・オペラ辞任以降、オペラに関してはウィーン国立歌劇場、バイロイト音楽祭に絞って指揮しているが、ドイツの温泉保養地バーデン=バーデンにて開催されるバーデン=バーデン音楽祭では、シンフォニー・オーケストラであるミュンヘン・フィルをオーケストラ・ピットに入れてオペラ上演を行い、その一部は収録されリリースされている他、ワーグナーの『ニーベルングの指環』などを上演・収録する予定もあった(後述の通りミュンヘン・フィル音楽監督辞任により実現せず、代わってシュターツカペレ・ドレスデンを起用して行われる)。また、ティーレマンとミュンヘン・フィルは、2005年10月4日バチカンにて行われた新ローマ教皇ベネディクト16世を祝う御前演奏会や、2006年6月7日ドイツワールドカップの開会式が挙行されたミュンヘンでのガラ・コンサートなどにも出演し演奏を披露している。 このように、順調に活動を行ったティーレマンとミュンヘン・フィルであるが、俄に亀裂が生じることとなった。2009年の夏、2012年以降の契約の更新に際して、ミュンヘン・フィルを運営するミュンヘン市は客演指揮者とプログラムの選定に関する権限を楽団総裁に与え、結果として音楽総監督の芸術的権利を制限することとした。ティーレマンはこの条項に納得せず、交渉が決裂したのである。その後、ティーレマン側はミュンヘンに留まりたい意向を示し、サヴァリッシュやフィッシャー=ディースカウ、ルネ・コロ、ブレンデルといった往年の巨匠から、ブーレーズやバレンボイム、あるいはクレーメルやグリモー、ドミンゴ、ハンプソン、そして現ウィーン国立歌劇場総監督ドミニク・マイヤーに到るまで総勢30名を越える著名音楽家たちも連名でティーレマンの延長をミュンヘン市に求めたが、結局折り合わず、2011年を最後にミュンヘンを去ることとなってしまった。前述のベルリン・ドイツ・オペラ辞任をめぐる経緯や、当初よりミュンヘン・フィルとの契約に盛り込まれていた「市当局が楽団員の人数及び予算を必要以上に削減しないこと、もし削減が行われた場合は正当に辞任することができる」という旨の条項からも解る通り、芸術的事項に関しては妥協を許していない。
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