マルクスと普仏戦争論とは? わかりやすく解説

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マルクスと普仏戦争論

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 14:34 UTC 版)

第一インターナショナル」の記事における「マルクスと普仏戦争論」の解説

1870年7月19日勃発した普仏戦争によって年次大会2年延期となったが、IWA活動その間活発に展開したIWA普仏戦争対す反戦第二帝政への批判強めていたが、マルクス個人的感想はまった異なったのだったようである。7月20日マルクスエンゲルス宛てた書簡このように述べている。 「フランス人たちは棍棒を必要としている。もしプロイセン人勝てば国家権力集中ドイツ労働者階級集中有益だ。さらに、ドイツ優越西ヨーロッパ労働運動重心フランスからドイツに移すことになるだろう。そして、これら両国における1866年から現在に至るまで運動比較してみただけでも、ドイツ労働者階級理論的に組織的にフランス労働者階級にも勝っていることを知るには、十分なのだ。世界舞台におけるフランス労働者階級対すドイツ労働者階級優越は、同時にプルードンなどの理論対する我々の理論優越でもあるだろう。」 マルクスは、ブリテンフランスのような先発工業国による運動よりも、アメリカドイツのような新興工業国運動の方が未来を捉えていると考えていたようである。各国労働者階級母国伝統政治文化抜けきれなかった。大掴みにいえば、ブリテン・フランス組は現状維持的な姿勢持っており、アメリカ組、そして、ドイツ場合は「国家のための社会主義」を目指すラッサール派を別にすれば、社会主義革命目指し歴史的大局的な見通し重視するマルクス主義勢力形成されるなど進取精神有していた性格違い背景にあったこうした背景俯瞰しつつ、各国労働運動政治文化自身社会理論とを重ね合わさせるように見ており、プルードン空想的社会主義対すマルクスによる科学的社会主義理論優越主張していた。マルクス自身自分理論科学性新興工業国労働運動その先にある革命運動の革新性期待していたのであるマルクス読み的中する普仏戦争プロイセン側の圧勝終わってナポレオン3世投降した。そして講和条件領土割譲アルザス=ロレーヌ併合浮上した。これを受けてマルクスプロイセン側の祖国防衛がやがて侵略戦争へと変貌し独仏間の確執抜き差しならないものになっていくことに不吉な予感を抱く。1870年8月末、マルクスエンゲルス戦争についてドイツアルザスロレーヌを奪うならフランスロシア組んでドイツ戦争するでしょう。それが破滅的な結果もたらすことは言うまでもありません」とベーベル宛て書簡において語り後日憂慮表明したドイツ統一目指すプロイセン王国は、周辺大国覇権競争繰り広げ普墺戦争から普仏戦争へと、ある戦争から次の戦争つくりだしプロイセン覇権確立したこうした展開の中からドイツ帝国実現したのは歴史的必然だったとマルクス、そしてエンゲルス見ていたことが伺える。だが、領土割譲フランスに強いるのであればフランス報復近い将来控えていることが容易に予想された。マルクスエンゲルスにとって世界大戦勃発眼前見えていたということ考えられる。 「普仏戦争」および「セダンの戦い」も参照

※この「マルクスと普仏戦争論」の解説は、「第一インターナショナル」の解説の一部です。
「マルクスと普仏戦争論」を含む「第一インターナショナル」の記事については、「第一インターナショナル」の概要を参照ください。

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