マルクスとパリ・コミューン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 14:34 UTC 版)
「第一インターナショナル」の記事における「マルクスとパリ・コミューン」の解説
一方、マルクスは9月9日に総評議会として「プロイセンによるアルザス=ロレーヌの併合」を非難する声明を採択するとともに『普仏戦争反対第二宣言』を発表した。マルクスは普仏戦争後の情勢不安に便乗したパリの蜂起に懸念を示し、プロイセン軍との戦時中に革命を試みるというのは不毛と考えて新政府との協力を説いていた。マルクスはひとたびパリ・コミューン革命が宣言されるとコミューン政府を支持した。パリ・コミューンの歴史的経験はマルクスに刺激を与えた。そして、『フランスの内乱』(英語版)を執筆して、総評議会の名で自身の見解を世界に発表した。著書においてはコミューン革命の経緯を辿りながら、革命の事績を総括するとともに、コミューン崩壊の原因を分析している。そして、社会主義政党の必要性を説き、反革命勢力の一掃とプロレタリアート独裁の確立、社会主義国家の建設に関する本格的な議論を提示した。こうしたコミューン論は後にボリシェビキを指導したウラジーミル・レーニンによって徹底的に研究されてマルクス・レーニン主義思想として体系化され、ロシア十月革命の理論的支柱へと発展していく。 「パリ・コミューン」も参照
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