ヘヴィメタルの衰退 - オルタナティヴ・メタルの勃興
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ヘヴィメタルは1980年代後半に商業的なピークを迎え、ガンズ・アンド・ローゼズやボン・ジョヴィ、ホワイト・ライオン、ウォレント、ポイズン、グレイト・ホワイト、ウィンガーらがヒットを出したが、90年代に入ると衰退の道をたどることになった。原因はポップ・ミュージック化したロックへの反発から登場した、グランジやオルタナティヴ・ロック・バンドがより若者たちの支持を集めるようになり、やがて大きなムーブメントになったからだった。この変化に対応できなかったバンド、あるいは変化の過程でファンの支持を得られなかったバンドはやがて表舞台から消えていった。 この状況を打開したのが、スラッシュ・メタルの代表と目されていたメタリカであった。彼らはアルバム『メタリカ』(1991年)でスラッシュ的なスピード性を放棄し、ヘヴィな音楽性を導入して2200万枚という大ヒットを飛ばす。また、メタリカ同様パンテラが『俗悪』で、ヘルメットが『ミーンタイム』で提示したグルーヴ・メタルというスタイルは数々のバンドが手本にした。パンテラに強く触発されたロブ・ハルフォードがジューダス・プリーストを脱退してFIGHTを結成したことは、この時期の流れを象徴するものといえる。また、インダストリアル・ロックバンド、ミニストリーは『ΚΕΦΑΛΗΞΘ‐詩篇69‐』に見られるように、従来の彼らの音楽にスラッシュメタル的な要素を加えるようになっていったが、この頃からフィア・ファクトリーをはじめとするメタル勢からも電子音楽にアプローチする動きが現れ始める。 こうした動きに呼応してヘヴィメタルシーンでは、若手ミュージシャンを中心にオルタナティヴ・メタルという新ジャンルがあらわれた。それはシンプルなリフに重いギターサウンド、現代社会を反映した歌詞、ラップの導入など、時代に適応した新しいメタル像(ニュー・メタル)であった。しかし、日本では音楽雑誌『BURRN!』を中心に、この動きをモダン・ヘヴィネスやヘヴィ・ロックと呼称して区分し、旧来のヘヴィメタルとは違うことを強調する傾向が出てきた。 このような流れの中、シャロン・オズボーンは、夫オジー・オズボーンが時代の半歩先を行く音楽性で常にヘヴィメタルの象徴であり続けたことを活かし、若手ニューメタル・バンドとオジー・オズボーン擁するブラック・サバスという組み合わせで全米をツアーするオズフェストというツアーに打って出る。これは見事に成功し、マリリン・マンソンやスリップノット、コーンなどのプロモーションに大きく貢献し、メタルコアなど後続のムーブメントに大きな影響を与えた。さらに結果的にはオジー・オズボーンそしてブラック・サバスを再認識させることに成功した。
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