プローディ委員会、バローゾ委員会
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「欧州委員会」の記事における「プローディ委員会、バローゾ委員会」の解説
サンテールのあとにはロマーノ・プローディが委員長に就任した。アムステルダム条約では欧州委員会の権限が強化され、プローディは新聞などで「首相」と同等の役職のように表現された。2001年にはニース条約でさらに権限が強化され、委員長は欧州委員会の構成についてより強力な権限を得た。 2004年、ジョゼ・マヌエル・バローゾが委員長に就任する。しかしこのとき、バローゾ委員会の人事案に対して欧州議会が反対を唱えた。この反対を受けてバローゾは就任直前に人事案を練り直さざるを得なくなった。プローディ委員会は2004年5月に拡大したことで30人体制で構成されていたが、バローゾ委員会では25人体制に移行した。これは加盟国が増加したことを受けてアムステルダム条約において、大国からは2人ずつ委員を選出する制度を廃し、各国から1人ずつとする制度に改めたことによるものである。 2009年欧州議会議員選挙の結果を受けてバローゾが委員長に再任されることとなった。ところが第1次バローゾ委員会の任期は2009年10月31日に満了したものの、欧州議会が第2次委員会を承認するまで第1次委員会を暫定委員会として引き続き業務に当たることとなった。この暫定体制は4か月以上にわたり、その間にバローゾが提案した第2次委員会に対して欧州議会は、第1次委員会のときと同様に人事案の再考を迫った。結果、第2次バローゾ委員会が欧州議会によって承認されたのは2010年2月9日のことであり、新委員会の発足はその翌日となった。第2次委員会の任期は2014年10月31日までとなっている。第2次委員会の発足に時間がかかったのは、基本条約における欧州委員会の委員の人数の上限についての規定をめぐる経緯があったためである。ニース条約の体制では加盟国の数が27に達した直後の欧州委員会の委員の人数は、加盟国数よりも少なくしなければならないということが規定されていたということがある。そのため2007年1月にルーマニアとブルガリアが加盟したことにより、この規定が次の委員会に適用されることになっていた。これに対して2009年12月1日に発効したリスボン条約による制度では、欧州理事会がとくに決定しなければ委員の数は加盟国の数の3分の2とすることになっている。ところが2008年にアイルランドで、リスボン条約の批准に必要な憲法の改正が国民投票で反対された。この反対の要因となったのが、アイルランド出身の委員がいなくなる可能性であった。これをうけて欧州理事会は国民投票の再実施のために、リスボン条約発効後も委員の数を減らさないことで合意した。ところがそれでも基本条約の規定では委員の数を加盟国数よりも少なくしなければならず、このため委員を出さない加盟国に対しては外務・安全保障政策上級代表を割り当てるという、「26+1方式」が提案された。この保証が奏功して、2009年に実施されたアイルランドの2度目の国民投票でリスボン条約批准が承認された。 またリスボン条約では欧州委員会の対外関係担当委員と欧州連合理事会の共通外交・安全保障政策上級代表を統合することがうたわれていた。欧州委員会の副委員長を兼務するこの役職は、欧州委員会における対外関係政策を担当するほか、欧州連合理事会の外務理事会の議長を務める。さらにリスボン条約では、委員長は引き続き欧州理事会が指名することになっているが、その人選にあたっては直前の欧州議会議員選挙の結果を考慮することとなった。また基本条約の文言についてかつては、欧州議会は委員会を「承認する」という表現が用いられていたが、リスボン条約発効後は「選出する」という表現に改められた。
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