プロテスタントの展開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 20:53 UTC 版)
「キリスト教の歴史」の記事における「プロテスタントの展開」の解説
プロテスタントではルター派がドイツ北部や北欧に広がり、それとは別にカルヴァンの影響を受けて改革派教会(カルヴァン主義)が大陸で展開した。そしてジョン・ノックスのスコットランドを経由した長老派教会はイギリスやアメリカにも広がった。また、イギリスではイングランド国教会(聖公会)が1534年にカトリック教会から分離しておりプロテスタントに分類されている。 またアメリカ合衆国では建国以来、信教の自由を保障したことと移民を広く受け入れてきたことからプロテスタント系諸教派が競い合って、多様なキリスト教信仰が展開している。教派を跨る形で大覚醒(Great Awakening)を代表とする信仰復興運動、再臨運動、異言を伴うペンテコステ運動などが起こり、これが新たな教派を形成し、ヨーロッパなどにも波及した。 さらにマックス・ヴェーバーの有名な学説『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』が指摘したように、ピューリタン(主に長老派信徒)の影響が強いイギリスとアメリカで資本主義が驚異的に発展する。そして、それらの富める国力とアメリカで勃興した信仰復興運動を背景にプロテスタントも19世紀頃から海外宣教に積極的に乗り出していくことになる。 ドイツに発した自由主義神学に対し、英国の福音主義同盟は1846年、9か条からなるプロテスタント福音主義信仰の基準を告白した。また20世紀初頭、アメリカ合衆国では自由主義神学の是非を巡ってプロテスタント教派(長老派教会、ルター派、メソジスト、聖公会)間で教義論争(メイチェン論争など)が行われ、自由主義神学(リベラリズム)を採用する主流各教派(メインライン)と、聖書の無誤無謬を主張した福音主義(ファンダメンタリズム=根本主義など)とに教派が二分された。しばらくの間メインラインのリベラル派は多数派として政治的主導権を有していたがベトナム戦争が膠着化した1970年代頃のカウンターカルチャー(対抗文化運動)の興勢の中で影響を減じて世俗化し、信者は現在[いつ?]減少傾向にある。 その一方で福音派は、ビリー・グラハムに代表される大衆伝道者などによる大規模な伝道集会や聖会、テレビなどのメディアでの活動や、地域伝道、個人伝道により、多くの改宗者を獲得し、第四次大覚醒とも呼ばれている。またウェストミンスター神学校、ホィートン・カレッジ、フラー神学大学など神学教育機関を充実させ、福音派のクリスチャニティ・トゥディはキリスト教の代表的な雑誌となった。 1974年にはローザンヌ世界伝道会議が開催された。ここに世界中から福音主義プロテスタントが集ってローザンヌ誓約が結ばれ、福音主義信仰が確認された。福音派は大宣教命令から、海外宣教とりわけ東欧圏・アジア・アフリカなどでの活動にも熱心である。 アメリカにおいて1980年代以降は保守的キリスト教やキリスト教右派と呼ばれる勢力が政治的な影響力を持つようになった。彼らの多くは創造論を奉じて進化論を『聖書』と矛盾するものとして退ける。また福音派、キリスト教根本主義、キリスト教右派、カトリック教会、正教は、人工妊娠中絶の合法化をめぐる議論に中絶反対の立場から発言を行っている。 2009年、アメリカにおいて正教会、カトリック教会、福音派の指導者が共同でマンハッタン宣言を発表し、生命の神聖、結婚の尊厳、信教の自由を守るものがキリスト教の立場であることを示し、中絶、同性愛など性的罪を強制する勢力に対して、立ち向かうと表明した。 アメリカにおける近現代史の詳細についてはアメリカ合衆国の現代キリスト教も参照されたい。
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