プーリアとカラブリアの伯爵と公爵一覧とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > プーリアとカラブリアの伯爵と公爵一覧の意味・解説 

プーリアとカラブリアの伯爵と公爵一覧

(プッリャとカラブリアの伯爵と公爵一覧 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/06 21:16 UTC 版)

1084年のイタリア半島

プーリアとカラブリアの伯爵と公爵一覧では、11世紀から12世紀にかけての南イタリアを統治した、プーリア伯爵イタリア語: Conte di Puglia)あるいはプーリア・カラブリア公爵イタリア語: Duca di Puglia e Calabria)およびプーリア公爵イタリア語: Duca di Puglia)、カラブリア公爵イタリア語: Duca di Calabria)の称号を持つ人物の一覧を掲げる。

歴史

1042年、サレルノ公グアイマーリオ4世英語版は、ノルマン人たちによって「プーリア・カラブリア公爵」に推戴された。グアイマーリオはその見返りとして、アルタヴィッラ家の家長であった鉄腕グリエルモ英語版メルフィの伯爵に任命した(後のプーリア伯領英語版)。

1047年、神聖ローマ皇帝ハインリヒ3世はグアイマーリオ4世から公爵位を剥奪した。ハインリヒ3世はグリエルモの弟であるドロゴーネ英語版イタリア公及びアプーリアとカラブリアのノルマン人伯ラテン語: Dux et Magister Italiae Comesque Normannorum totius Apuliae et Calabriae)の称号を与え、帝国の直接の封臣とした。

プーリア伯

プーリア・カラブリア公

1059年8月23日にメルフィで開催された教会会議英語版の結果、教皇ニコラウス2世はロベルト・イル・グイスカルドをプーリア・カラブリア・シチリア公爵イタリア語: Duca di Puglia, Calabria e Sicilia)に叙し、ロベルトのシチリア征服に名分を与えた。

1127年に公国はシチリア伯領英語版に併合された。公爵の称号はシチリア王後継者にしばしば与えられた。

ルッジェーロ4世の死後、公爵位は空位となった。 シチリア王グリエルモ2世は自らの子のために称号を復活させたが、ボエモンドが早世したため、タンクレーディの長男ルッジェーロに引き継がれることとなった。

プーリア公

イタリア王族であるサヴォイア=アオスタ家の推定相続人の称号として用いられた。

名目上のプーリア公

カラブリア公

ナポリ王の推定相続人の称号として用いられた。

アンジョ家
ヴァロワ=アンジョ家
ロレーナ家
アズブルゴ=ロレーナ家

トラスタマラ家ボルボーネ=シチリア家によるナポリ王、シチリア王国同君連合となった両シチリア王の推定相続人の称号としても用いられた。

トラスタマラ家
ボルボーネ家

名目上のカラブリア公

両シチリア王国の滅亡後は、両シチリア王家の家長が儀礼称号として用いている。

両シチリア王家の家長位をめぐってカラブリア公家と競合しているカストロ公家では、推定相続人の称号として用いている。




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  プーリアとカラブリアの伯爵と公爵一覧のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「プーリアとカラブリアの伯爵と公爵一覧」の関連用語

プーリアとカラブリアの伯爵と公爵一覧のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



プーリアとカラブリアの伯爵と公爵一覧のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのプーリアとカラブリアの伯爵と公爵一覧 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS