ジャン2世_(ロレーヌ公)とは? わかりやすく解説

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ジャン2世 (ロレーヌ公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/17 13:21 UTC 版)

ジャン2世
Jean II
ロレーヌ公
在位 1453年 - 1470年

出生 1425年
ロレーヌ公国ナンシー
死去 1470年12月16日
カタルーニャ君主国バルセロナ
埋葬 カタルーニャ君主国バルセロナサンタ・エウラリア大聖堂
配偶者 マリー・ド・ブルボン
子女 ニコラ1世
家名 ヴァロワ=アンジュー家
父親 ルネ・ダンジュー
母親 ロレーヌ女公イザベル
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ジャン2世と妃マリー・ド・ブルボン(17世紀画)

ジャン2世・ダンジュー(Jean II d'Anjou, 1425年 - 1470年12月16日)は、ロレーヌ(在位:1453年 - 1470年)。カラブリア公も称した(1435年 - 1470年)。ロレーヌ女公であった母イザベルから公位を継承した。父は母の共同統治者としてロレーヌ公でもあったナポリルネ・ダンジュー。妹にヴォーデモン伯フェリー2世妃ヨランドイングランドヘンリー6世マルグリットがいる。

生涯

1453年に母が亡くなり、父から公位を譲られた[1]

父はナポリを巡りアラゴンアルフォンソ5世と戦い、敗れてナポリを諦めた過去があった。ジャン2世も父と同じくナポリへの野望を抱き、ナポリ王でアルフォンソ5世の庶子フェルディナンド1世に戦いを仕掛け、1457年1459年から1462年にかけてナポリへ遠征した。しかしミラノフランチェスコ・スフォルツァがフェルディナンド1世に味方し援軍を送ったため、ジャン2世は敗れてナポリ王位を断念した[2]

1465年フランスルイ11世とも対立しブルゴーニュシャルルブルターニュフランソワ2世ブルボン公ジャン2世ら反国王派貴族が結成した公益同盟フランス語版に加わったが、軍備に手間取っているうちにまとまりの弱い公益同盟が分裂、ルイ11世と交渉して同盟から離れた[3]

1466年、息子のニコラとルイ11世の娘アンヌ・ド・ボージューが婚約、国王から10万リーブルの持参金を与えられた。これを機にアラゴン王フアン2世(アルフォンソ5世の弟)から王位を奪い取るため、カタルーニャの支援でイベリア半島へ向かった(父もフアン2世の対立王に推戴される)。アラゴンと戦っている最中に再び反ルイ11世派となりニコラとアンヌの婚約は破棄されたが、アラゴン王位を奪えないまま1470年、父に先立ちバルセロナで病死した[4]

ブルボン公シャルル1世の娘マリー(1428年 - 1448年)と結婚し、4子をもうけたが、ニコラ1世以外の3人の娘は夭逝、ジャン2世の死後ニコラ1世が後を継いだが、1473年にニコラ1世も亡くなると甥ルネ2世(妹ヨランドの子)がロレーヌを相続した。

脚注

  1. ^ 三角、P167 - P168。
  2. ^ 三角、P159 - P160、グイチャルディーニ、P63、P75、P101。
  3. ^ ミシュレ、P87、P101 - P102、P109 - P110。
  4. ^ 三角、P160 - P161、P168、関、P245、ミシュレ、P172 - P173、P231、P285 - P286、P444 - P445。

参考文献

先代
イザベル/ルネ1世
ロレーヌ公
1453年 - 1470年
次代
ニコラ1世



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