グリエルモ2世_(プッリャ公)とは? わかりやすく解説

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グリエルモ2世 (プッリャ公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/06 21:19 UTC 版)

グリエルモ2世
Guglielmo II di Puglia
プーリア・カラブリア公
在位 1111年 - 1127年

出生 1095年
死去 1127年7月28日
埋葬 プーリア・カラブリア公領、サレルノ大聖堂
配偶者 ガイテルグリマ
家名 オートヴィル家
父親 プーリア・カラブリア公ルッジェーロ・ボルサ
母親 アデル・ド・フランドル
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グリエルモ2世(イタリア語:Guglielmo II, 1095年 - 1127年7月28日)は、プーリア・カラブリア公(在位:1111年 - 1127年)。プーリア・カラブリア公ルッジェーロ・ボルサの息子[1]。母はデンマーク王妃であったアデル・ド・フランドルで、グリエルモ2世はフランドル伯シャルル1世の異父弟にあたる。

生涯

グリエルモ2世は1111年に公位を継承し[1]、成年に達するまで母アデルが摂政をつとめた[2]。父と同様、グリエルモ2世もイタリアの領地を統治する能力に欠けていた。グリエルモ2世は父の従兄弟にあたるルッジェーロ2世と対立し、1121年に教皇カリストゥス2世がこの対立の仲裁に入った[3]。グリエルモ2世とルッジェーロ2世は合意に達し、ルッジェーロはグリエルモがジョルダーノ・ディ・アリアーノの反乱の鎮圧を支援するため騎士を送り、かわりにグリエルモはシチリアとカラブリアの領地を放棄した。

1114年にグリエルモ2世はカイアッツォ伯ロベルトの娘ガイテルグリマと結婚したが、子供は得られなかった。グリエルモ2世は嗣子なく1127年7月に死去し、ルッジェーロ2世が南イタリアの領地を継承した[3]

現在では無能な統治者であったとされているが、同時代の人々からは尊敬され、貴族には人気があり、その武術の腕前を称賛された。

脚注

  1. ^ a b Matthew 1992, p. 19-20.
  2. ^ Houben 2002, p. 31.
  3. ^ a b Matthew 1992, p. 20.

参考文献

  • Houben, Hubert (2002). Roger II of Sicily: A Ruler Between East and West. Cambridge University Press 
  • Matthew, Donald (1992). The Norman Kingdom of Sicily. Cambridge University Press 
先代
ルッジェーロ1世
プーリア・カラブリア公
1111年 - 1127年
次代
ルッジェーロ2世



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