フロンティア特有の建築
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/03 19:22 UTC 版)
「アメリカ合衆国の建築」の記事における「フロンティア特有の建築」の解説
1862年のホームステッド法によって何百万人の人々に不動産を持つことが可能になり、先住民族を追い出し、開拓の様式を変えた。この法律は土地を5年間耕作し、その土地の上に住居を建設した成人男性に無償で適度な農地を提供した。それまでアメリカ合衆国北東部の州にあったヨーロッパ風村落の代わりに中西部や西部では孤立した農園という田舎の姿ができてきた。開拓者はそこにある材料から家屋を建設し、樹木の多い東側の地域では丸太小屋、樹木の無い草原地域では柴土小屋を建てた。当時の丸太小屋が幾つか今も残っており、その大半はよろい張り下見のファサードで隠されている。ネブラスカ州の初期梱包機械から開発された藁圧縮材が現代的な建設材料として導入された。 田舎の住人は製材された木材で建設された家を好み、材料が得られるときは柴土や丸太の家の代わりにこれらを建設した。鉄道によって近くの町まで建設資材が運ばれてくるようになった。グラント・ウッドの有名な「アメリカ風ゴシック」という絵画は、夫婦の後の農家で上方にある窓からその名前を採っている。アーチ窓は1880年代の設計要素として人気があり、時として「大工のゴシック」と呼ばれている。 1908年から1940年まで売られたシアーズ・カタログの家は、残っていた柴土の家や丸太の家の大半に取って代わった。これら家屋建築用セットには木材や設計図が入っていた。「気球枠構造」の建築であれば、家族や友人を加えた少数の人員でも建てることができた。装飾的な要素は控えめであり、後期ビクトリア様式の美意識を偲ばせるものである。シアーズ・カタログの家にある上げ下げ式サッシ窓がアメリカ合衆国では最も普通に見られる住居の窓になっている。シアーズ・カタログの家は平均的品質より良いうちは人気があり続けた。
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