フロンティア小軍管区
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/27 16:48 UTC 版)
「フロンティア軍」の記事における「フロンティア小軍管区」の解説
6月6日、ヘロン師団に加わわらず、アーカンサスとインディアン準州に残留した部隊は、ブラントを司令官とするフロンティア小軍管区(District of the Frontier)に属することとなった。この小軍管区はミズーリ軍管区(Department of the Missouri)の一部であり、インディアン準州、アーカンソー西部、ミズーリ南西部、カンザス南部が管轄地域であった。 これらの部隊を率いて、ブラントは1863年7月17日のハニースプリングスの戦いに勝利したが、10月6日のバクスタースプリングスの戦いBattle of Baxter Springs)では、彼の率いる小さな分遣隊は南軍ゲリラの奇襲攻撃で大損害を受けた。 1864年1月6日、ブラントは司令官を離任した。このときフロンティア小軍管区は2つに分割されたが、どちらもフロンティア小軍管区と呼ばれ続けた。一つはカンザス軍管区(Department of Arkansas)に所属し、インディアン準州とアーカンソー州フォートスミスを管轄した。司令官にはウィリアム・ジャドソン(William R. Judson)大佐が就任した。もう一つはアーカンソー軍管区(Department of Arkansas)に属して、アーカンソー州全体を管轄した。司令官はジョン・セイヤー(John Milton Thayer)准将であった。セイヤーの部隊は第7軍団に属し、カムデン遠征作戦(Camden Expedition)にフロンティア師団として参加した。 1854年2月23日、ブラントは再びカンザス軍管区のフロンティア小軍管区司令官に復帰し、1864年4月に小軍管区が解散されるまでその任にあった。解散後にフォートスミスはセイヤーの管轄となり、インディアン準州は他のいくつかの小軍管区が管轄することとなった。セイヤーのフロンティア小軍管区は1865年2月1日に解散となった。
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