フランツボアズとは? わかりやすく解説

ボアズ【Franz Boas】


フランツ・ボアズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/25 14:06 UTC 版)

Franz Boas
フランツ・ボアズ 1915年(57歳)頃
生誕 (1858-07-09) 1858年7月9日
ミンデン, ヴェストファーレン州英語版, ドイツ連邦[1]
死没 1942年12月21日(1942-12-21)(84歳没)
ニューヨーク, アメリカ合衆国
教育 Ph.D. 物理学, キール大学 (1881)
職業 人類学者
配偶者 Marie Krackowizer Boas (1861–1929)
子供
  • Helene Boas Yampolsky (1888–1963)
  • Ernst Philip Boas (1891–1955)
  • Hedwig Boas (1893/94)
  • Gertrud Boas (1897–1924)
  • Henry Herbert Donaldson Boas (1899–1925)
  • Franziska Marie Boas (1902–1987)
  • Meier Boas (1823–1899),
  • Sophie Meyer Boas (1828–1916)
署名
テンプレートを表示

フランツ・ボアズ(Franz Boas, 1858年7月9日 - 1942年12月21日)は、ドイツ生まれ、アメリカ合衆国人類学者

略歴

早年

ドイツ連邦ヴェストファーレン(ウェストファリア)のミンデンユダヤ人の家に生まれる。近代化に理解のあるキリスト教の家であったが反抗して入信しなかった。フレーベル (Fröbel) 幼稚園に通った後ギムナジウムに入る。植物の分布の研究をするなど地誌地理に興味をもっていたが後に数学物理学を好むようになる。進学のために上京しようとするがキールのグスタフ・カルステンのもとで物理学を習う。正規分布ガウスの法則を研究しようとしたが、指導教員のカルステンの指示でしぶしぶ変更して光学的性質について研究する。1881年博士号を得る。ハイデルベルククーノ・フィッシャー審美学の講義をとったのをきっかけにカント思想に凝る。ボンではカント哲学の大家ベンノ・エルドマンの講義を受ける。その後心理物理学に傾心し、ベルリンにいきヘルムホルツのもとで学ぶが徒労に終わる。

卒業後

学生時代に教わったことのあるテオバルト・フィッシャー (Theobald Fischer) がキールに引っ越してくると地理学を講習する。そのころ学界では文化の差異は何に由来するかという問題で風土、環境が主因であるとする立場と移住による概念の伝播が重要であるとする立場とに分かれて論争が行われていた。1883年その調査のためバフィン島に赴き、ベルリンに帰ったのち1886年に発表して指導教官の資格を得る。

バフィン島の調査をきっかけに非欧米の文化に関心をもち、1885年ルドルフ・ウィルヒョーアドルフ・バスティアン英語版の勤めるベルリンの民族博物館に移る。その後三ヶ月間アメリカへ出国する。1881年11月ニューヨークサイエンス誌の編集の手伝いを頼まれる。その体験からドイツと違ってユダヤ人であることで冷遇されないアメリカに移住しようと決意し、1887年ニューヨークに市民権を得る。1888年、クラーク大学に就職するが学部がなかったこと、学長のグランヴィル・スタンリー・ホールに嫌がられていたこともあって待遇はよくなかった。1893年のシカゴ万博では助手を務めた。

前期

後期

1896年コロンビア大学の講師になり、1899年教授に昇進する。分立していた学部の統合の申し出がかなってアメリカで最初の人類学博士課程が設置される。その間関連する分野をまとめるアメリカ人類学会英語版(AAA)の設立にも尽力する。学会ではマクジー(W.J. McGee )が影響力をもち、会員は人類学者だけにしようとしたが彼の意向で人類学者でなくとも入会できることになった。1902年マクジーが会長、ボアズが副長になった。(以下プトナム、パウエル、ホルムズが続く)

人類学の四部門として自然人類学言語学考古学文化人類学を掲げた。

自然人類学

言語学

ネイティブアメリカ諸語の研究を行ったが、そのときに影響を受けた弟子のエドワード・サピアのように言語と文化について研究はしなかった。当時の研究者の風潮(関係ない事例を取り上げて先住民は遅れているとする)に反対して文化相対主義を唱えた。

文化人類学

弟子

脚注

参考書籍

  • Boas n.d. "The relation of Darwin to anthropology," notes for a lecture; Boas papers (B/B61.5) American Philosophical Society, Philadelphia. Published on line with Herbert Lewis 2001b.
  • Boas, Franz 1911 The Mind of Primitive Man ISBN 0313240043
  • Boas, Franz 1940 Race, Language, and Culture ISBN 0-226-06241-4
    前野佳彦編・監訳/磯村尚弘・加野泉・坂本麻裕子・菅原裕子ほか訳
  • Stocking, George W., Jr., ed. 1974 A Franz Boas Reader: The Shaping of American Anthropology, 1883-1911 ISBN 0-226-06243-0
  • Boas, Franz 1928 "Anthropology and Modern Life" (2004 ed.) ISBN 0-7658-0535-9
  • Bashkow, Ira 2004 "A Neo-Boasian Conception of Cultural Boundaries" in American Anthropologist 106(3): 443-458
  • Bunzl, Matti 2004 "Boas, Foucault, and the 'Native Anthropologist,'" in American Anthropologist 106(3): 435-442
  • Cole, Douglas 1999 Franz Boas: The Early Years, 1858-1906 ISBN 1-55054-746-1
  • Darnell, Regna 1998. “And Along Came Boas: Continuity and Revolution in Americanist Anthropology.” ISBN 1556196237
  • Kuper, Adam 1988 The Invention of Primitive Society: Transformations of an Illusion ISBN 0-415-00903-0
  • Kroeber, Alfred 1949 "An Authoritarian Panacea" in American Anthropologist 51(2) 318-320
  • Lesser, Alexander 1981 "Franz Boas" in Sydel Silverman, ed. Totems and Teachers: Perspectives on the History of Anthropology ISBN 0-231-05087-9
  • Lewis, Herbert 2001a "The Passion of Franz Boas" in American Anthropologist 103(2): 447-467
  • Lewis, Herbert 2001b "Boas, Darwin, Science and Anthropology" in Current Anthropology 42(3): 381-406 (On line version contains transcription of Boas's 1909 lecture on Darwin.)
  • Stocking, George W., Jr. 1968 "Race, Culture, and Evolution: Essays in the History of Anthropology" ISBN 0-226-77494-5
  • Stocking, George W., Jr., ed. 1996 Volksgeist as Method and Ethic: Essays on Boasian Ethnography and the German Anthropological Tradition ISBN 0-299-14554-9
  • Glick, Leonard B. 1982 "Types Distinct from Our Own: Franz Boas on Jewish Identity and Assimilation" in American Anthropologist 84(3) pp. 545-565.
  • Frank, Gelya 1997 "Jews, Multiculturalism, and Boasian Anthropology" in American Anthropologist 99(4), pp. 731-745.
  • Mitchell Hart 2003 "Franz Boas as German, American, Jew." In German-Jewish Identities in America, eds. C. Mauch and J. Salomon (Madison: Max Kade Institute), pp. 88-105.
  • Kevin MacDonald 1998 The Culture of Critique: An Evolutionary Analysis of Jewish Involvement in Twentieth-Century Intellectual and Political Movements -- chapter 2 provides a critique of Boas, by resurrecting the Nazi notion of "Jewish Science".

フランツ・ボアズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/02 17:02 UTC 版)

文化相対主義」の記事における「フランツ・ボアズ」の解説

アメリカドイツ移民であるボアズは、ドイツ・ロマン主義影響をうけ、文化について、その外部尺度用いて価値判断下さないという価値相対性唱え、もし洗練度合い問題にするのであるのならば各文化内部にある尺度使われるべきであるとした。 ボアズ当時一世を風靡していた社会進化論や、それに影響受けていた人種主義進化主義人類学者モーガンらを論敵とし、演繹法的な進化論論証乏しく人類学帰納法用いるべきとしたまた、進化主義心理面置け同一性根拠に、外的な特徴諸社会の差異」を階層的に捉えることができるとしたのに対して歴史的過程重視した

※この「フランツ・ボアズ」の解説は、「文化相対主義」の解説の一部です。
「フランツ・ボアズ」を含む「文化相対主義」の記事については、「文化相対主義」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「フランツボアズ」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「フランツボアズ」の関連用語

フランツボアズのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



フランツボアズのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのフランツ・ボアズ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの文化相対主義 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS