フォーミュラEへの参戦
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2014年からフォーミュラEに参戦の為「チーム・e.dams・ルノー」を設立。元F1ドライバーのアラン・プロストとジャン・ポール・ドゥリオが共同でチームを運営する。 2014-15年 ドライバーは元F1ドライバーのセバスチャン・ブエミとアラン・プロストの息子のニコラ・プロスト。2位のドラゴン・レーシングと61ポイントの差をつけフォーミュラE初代チームチャンピオンとなった。ドライバーズランキングではブエミが2位、プロストが6位だった。 2015-16年 「ルノー・e.dams」とチーム名を変更して引き続きブエミとプロストの2人のドライバーで参戦。全10戦中5戦で勝利し、2年連続のチームタイトルを獲得。ドライバーランキングでは、ブエミが最終戦ロンドン大会でタイトル争いで一騎討ちとなったアプト・シェフラー・アウディ・スポートのルーカス・ディ・グラッシとスタート直後にクラッシュするも、2台目に乗り換えファステストラップを決めて初のドライバータイトルを獲得。またプロストがロンドン大会で2戦連続優勝(レース1はポールポジションも獲得)したことでチームチャンピオンも獲得し、結果ダブルタイトルとなった。プロストは年間3位だった。 2016-17年 ブエミ、プロスト体制で引き続き参戦。ブエミが開幕戦の香港大会、第2戦のマラケシュ大会、第3戦のブエノスアイレス大会で連続優勝し、フォーミュラEでは史上初となる3連勝を飾っている。第4戦のメキシコシティ大会ではミスもあり14位と奮わなかったものの、続く第5戦のモナコ大会、第6戦のパリ大会で連続優勝し、6戦中5勝とシーズン中ではあるものの昨年を上回る活躍を既に見せている。プロストは表彰台こそないものの第6戦までの全てのレースで入賞している。しかしブエミは2度の失格処分や最終戦での接触もあり、コンスタントにポイントを重ねていたディ・グラッシに敗北し、年間2位でシーズンを終えた。プロストは年間6位。 2017-18年 引き続きブエミ、プロスト体制で参戦。ブエミはマラケシュでの2位を皮切りにコンスタントにポイントを獲得し好走を続けたが、最終的にチャンピオンを獲得したジャン=エリック・ベルニュに73ポイント離されてしまい、年間4位でシーズンを終えた。一方のプロストは全12戦に参戦したドライバー中最低の8ポイントに留まり、この年限りでチームを離れることとなった。また、時を同じくしてサプライヤーのルノーもフォーミュラEから撤退することとなった。 2018-19年 ニッサンをマニュファクチャラーに、プロストの後任ドライバーにオリバー・ローランドを迎え「ニッサン・e.dams」として始動した。 2019年、創業者でオーナーのジャン=ポール・ドリオが死去。以後は息子であるオリヴィエとグレゴリーが共同チームオーナーとなりDAMSが続行されることになった。 2022年2月、元F1ドライバーのシャルル・ピックがDAMSを買収しチームの全権を取得することが発表された。 4月12日、日産自動車は「e.dams」を買収すると発表した。
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