フェミニズムとの関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/23 09:24 UTC 版)
「自由恋愛主義」の記事における「フェミニズムとの関係」の解説
自由恋愛の歴史はフェミニズムの歴史と深く関係している。 18世紀後半から、メアリー・ウルストンクラフト(Mary Wollstonecraft)のようなフェミニストのリーダーが結婚制度に異議をとなえ、その多くが廃止を提唱している。 フェミニズムからの批判によると、既婚女性は妻と母親にしかなれず、他の職業を追求するチャンスを失ってしまう。当時の米国社会において、ときに法律は結婚した女性や母親を教師として雇用することを禁じていた。 1855年、自由恋愛主義者の女性メアリー・ゴブ・ニコルズ(Mary Gove Nichols)は、結婚を「女性をほろぼすこと」だと述べ、女性が法律と大衆感情における男性の財産とみなされ、独善的な男性が妻の自由のすべてを奪いとってしまっていると説明した。たとえば、当時、法律はしばしば夫が妻を殴ることを許可していた。自由恋愛主義者は、子供たちの多くが不自由な結婚生活のなかで強制的に生まれており、これにかわって「選択の自由」と「愛情」の結果とするべきだと主張した。さらに当時は婚姻外の子供は既婚の親とおなじ権利をもつことができなかった。 1857年、女性社会革命家のミネベア・パトナム(Minerva Putnam )は「自由恋愛の議論では女性がそのテーマについての意見を出そうとしたことはない」と訴え、すべての女性読者に「女性の尊厳を高め、自由を宣言しよう」とよびかけて、意識の変革をうながした。19世紀には少なくとも6冊の本が「自由恋愛」を支持していたが、そのすべてが男性によって書かれていた。だが、アメリカ南北戦争後の4つの主要な自由恋愛定期刊行物の半数には女性編集者がいた。メアリー・ゴブ・ニコルズは女子代表の主唱者であり、当の女性たち自身は自由恋愛運動を見上げるようにながめていた。彼女の自伝は、女性の立場から書かれた「反=結婚」の最初の議論となった。 自由愛の支持者にとって、セックスは生殖のためだけではなかった。避妊は女性の自立の手段とみなされ、避妊運動家のリーダーも自由恋愛を受けいれていた。セクシュアル・ラディカルは、女性の身体をコントロールし、避妊、婚姻・性的虐待(情緒的および肉体的)、性教育などの問題について自由に話しあう女性の権利の維持に焦点をあてていた。彼女たちは、女性のセクシュアリティについて話すことによって、女性に力をあたえるのだと信じていた。このような思想家たちは、この目標を達成するために、言葉や本、パンフレット、定期刊行物などに期待して、50年以上にわたってこの運動をつづけ、米国全土で自由恋愛のメッセージをひろめていった。
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