フィアット車の特装車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/08 08:09 UTC 版)
「モレッティ (自動車)」の記事における「フィアット車の特装車」の解説
1950年代後半に自社設計の車両の自社での製造を止めた。コストと一般経費削減のために同社は全ての自社製造車両をフィアット車の機械機構とシャーシを利用したものに転換した。自社製の「750」を基にして全てのレンジのモデル(サルーン、クーペ、スパイダー、エステート等々)を揃えていたが、価格がほぼ半額ということで市場の大部分を占めたフィアット・600には対抗できなかった。その後に販売数低迷と財政困難が続いたことで全モデルで生産数は削減されたが、ジョヴァンニ・モレッティとジャンニ・アニェッリの友情のおかげでモレッティはフィアットとの間でフィアット車のシャーシを利用した特製/少量生産モデルの製造に関して好意的な契約を引き出すことができた。127、128、124、132を基にした非常によく似たスポーティな外観のクーペが1960年代末から1970年代初めにかけて製造された。 モレッティ社の生産台数は、1967年に2,600台、1973年に3,292台、1974年には僅か1,071台まで落ち込み、1970年代にフィアット車を基にした小型オフロードカーの生産に転換した。1970年にフィアット・500を、後にフィアット・126を基にした「ミニマキシ」 (Minimaxi )を発売し、1971年にはフィアット・127を基にした「ミディマキシ」(Midimaxi )が登場した。「パグーロ」(Paguro )と呼ばれるボディを延長した127ベースのライトバンとピックアップトラックも1977年に発売された。1979年には2.5 L のディーゼルエンジンを搭載したフィアット・カンパニョーラ (Campagnola )をベースとしたモレッティ・スポルティング(Sporting )が、1980年に超豪華仕様の"127 Vip"と"Ritmo Gold"が登場した。1983年に発売されたパンダ・ロック(Panda Rock )は、オフロード走行を目的とした屋根を取り去り、ロールバーを備えたパンダ 4x4であった。最新の127をベースにした「ミディマキシIII・シリーズ」も1983年に登場した。フィアットが手を出さずに残しておいた更にニッチな市場を埋める努力は続き、モレッティはウーノとパンダ 4x4のパネルバン(フルゴネット)版も提供した。 生産数が減り続けた後にモレッティはウーノ、パンダ、レガータといった各種フィアット車の個人向け改装車の製造に転換した。1983年のボローニャ・モーターショーではウーノの「カブリオレ」版が発表された。この車は完全なコンバーチブルではなく、ドア桟と後部側面ガラスが残るカブリオ・コーチ(cabrio coach )形式であった。各種エンジン(ディーゼルエンジンを含む)を搭載して、イタリア国内の選定されたフィアット・ディーラーを通じて直接販売された。 1989年に「イタル ウーノ・ターボ」(Ital Uno Turbo )を製造し、これはカリフォルニア州のノース・ハリウッドにあるM.I.Kオートモビルにより限定数がアメリカ合衆国に輸入された。この車は1.3 L ターボ・エンジンを搭載したウーノ・ターボを基にアンチロック・ブレーキ・システムと13inホイールのトーヨータイヤを装備していた。 数年間にわたる事業低迷を経て1989年12月、ついにモレッティは正式に操業を停止した。
※この「フィアット車の特装車」の解説は、「モレッティ (自動車)」の解説の一部です。
「フィアット車の特装車」を含む「モレッティ (自動車)」の記事については、「モレッティ (自動車)」の概要を参照ください。
- フィアット車の特装車のページへのリンク