フィアット会長へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/02 16:05 UTC 版)
「ルカ・ディ・モンテゼーモロ」の記事における「フィアット会長へ」の解説
2004年6月1日には、フィアット会長のウンベルト・アニエッリ(ジャンニ・アニェッリの弟)の死去に伴いフィアット会長に就任したものの、当時フィアットは慢性的な赤字を抱え経営難に陥っている上に、アメリカのゼネラルモーターズ社との資本提携に失敗するなど危機的な状況にあったため、再度経営建て直しの手腕を試されることになった。なお、会長就任直前には、イタリア産業総連盟の会長に就任した。 その後同社は2005年11月には単月黒字を計上したほか、2005年7月に発売が開始された同社の主力小型車であるグランデプントが、2006年1月のヨーロッパ市場における販売台数1位になる他、その後も単月黒字を連続して達成。2006年第三四半期の販売台数も、ルノーやプジョーなどのライバルが前年比割れになる中前年比増になるなど、長年の低迷から完全復活させたため、その経営手腕が高い評価を受けている。 また、フィアット傘下のフェラーリ、マセラティ、アルファロメオの3社において、フェラーリは2ドア(一部3ドア)でMRもしくはFR(一部FRベースの4WD)のスーパーカー、スポーツカー、GTを、マセラティは2ドアと4ドアのFR(同4WD)スポーツカーとGTを、アルファロメオはFFを中心に生産することとして、ボディ形状や駆動方式による明確な棲み分けを行い、いずれも販売台数を急増させた。 2009年1月には、フィアットがサーベラス・キャピタル・マネジメント傘下で経営再建を目指しているクライスラーに資本参加し、35%の株式を取得する資本提携合意を発表した。フィアットは、クライスラーが北アメリカ市場で燃費性能の高いコンパクトカーを生産するための技術などを提供すると同時に、北アメリカ市場以外におけるクライスラー車の販売でも協力することを表明するなど、フィアットの拡張路線をけん引する存在となっている。 2010年4月20日に、フィアットの会長を退任し、会長の座をジャンニ・アニェッリの孫のジョン・エルカーン副会長に譲ると発表された。なおフィアット会長退任後も同社取締役とフェラーリ部門会長の座に留まる。また、不祥事が続いているシルヴィオ・ベルルスコーニ首相の後を狙って政界進出するという噂も囁かれていたが、その後フェラーリとの契約の3年延長が発表された。
※この「フィアット会長へ」の解説は、「ルカ・ディ・モンテゼーモロ」の解説の一部です。
「フィアット会長へ」を含む「ルカ・ディ・モンテゼーモロ」の記事については、「ルカ・ディ・モンテゼーモロ」の概要を参照ください。
- フィアット会長へのページへのリンク