ノース・ハリウッド(1993-2012年)
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「エクスタシー・レコーディング・スタジオ」の記事における「ノース・ハリウッド(1993-2012年)」の解説
YOSHIKIはX JAPANのアルバム『ART OF LIFE』のレコーディングで、ジム・デヴィッド(ハル・デヴィッドの息子)が所有していたノースハリウッド・ランカーシム・ブールバードNoHoアート地区の録音スタジオ「ワン・オン・ワン・レコーディング」(One On One Recording) を借りて使用していたが、当時メタリカやボン・ジョヴィ、マドンナなどの有名アーティストに人気で予約が取りにくい上、スタジオ機材のレンタル料も嵩むことから、1993年にこのスタジオを購入した。その後、設備の充実化や内部の改築・改修工事を施し、スタジオAを引き続き外貸しのスタジオとして、スタジオBを自身のプライベート・スタジオとして使用していた。1997年には2階部分にビデオ編集専用ルームが作られた。 2000年にエクスタシー・レコーディング・スタジオ (Extasy Recording Studios) に改称。2003年からは一般へのレンタルを一切やめ、完全なプライベート・スタジオとして使用していた。 スタジオAのコントロール・ルームにはメイン・モニタリング・スピーカー「ジェネレック・1035B」と、アメリカ本土最大となる104インプットのミキシング・コンソール 「SSL・9000J」が備えられ、70人規模のオーケストラが収容できるトラッキング・ルームはドラム・レコーディングにも定評がある。 スタジオBには72インプットのミキシング・コンソール「SSL・Jシリーズ」を置き、ブースは主にボーカルのレコーディングに使用していた。 スタジオCにはDigidesign Pro Controlが置かれ、エディット作業に使用していた。 その他、ラウンジ、機材室、オフィスなどを備え、YOSHIKIが主宰するエクスタシー・レコード・インターナショナル (Extasy Records International) とエクスタシー音楽出版 (Extasy Music Publishing) も同じ建物に所在していた。 2012年に17ハーツLLC社に売却し、現在は17ハーツ・スタジオという名のレンタル・スタジオになっている。
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