パンテレリア沖海戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 06:35 UTC 版)
「ハープーン作戦」の記事における「パンテレリア沖海戦」の解説
イタリア王国海軍のアンジェロ・イアキーノ海軍最高司令官は、ヴィガラス船団の迎撃にリットリオ級戦艦2隻と巡洋艦4隻を投入し、ハープーン船団にはアルベルト・ダ・ザラ(英語版、イタリア語版)上級少将が率いる巡洋艦部隊を攻撃に向かわせた。6月15日夜明け頃、パンテッレリーア島近海までたどり着いた連合国軍直接護衛隊および輸送船団を、ザラ提督(第七巡洋戦隊司令官)が率いる軽巡エウジェニオ・ディ・サヴォイア (Eugenio di Savoia)、ライモンド・モンテクッコリ (Raimondo Montecuccoli)、駆逐艦アスカリ(英語版) (Ascari) 、アルフレッド・オリアーニ(英語版) (Alfredo Oriani) 、プレムダ (Pemuda) 、ウゴリーノ・ヴィヴァルディ(英語版) (Ugolino Vivaldi) 、ランツェロット・マロチェッロ(英語版) (Lanzerotto Malocello) が襲撃した。これをパンテレリア沖海戦と呼称する。 イタリア艦隊(軽巡2隻、駆逐艦5隻)に対し、ハープーン船団部隊では旗艦、ハント級駆逐艦、掃海艇部隊が煙幕を展開した。英駆逐艦ベドウィンが駆逐隊を率いてイタリア艦隊にむけて突撃し、伊巡洋艦の砲撃で2隻(ベドウィン、パートリッジ)が大破した。また連合国軍船団にイタリア駆逐艦2隻(ヴィバルディ、マロチェッロ)が接近して攻撃をおこない、イギリス側護衛部隊も反撃する。砲雷撃戦で英艦隊旗艦カイロが損傷し、イタリア駆逐艦ヴィヴァルディが損傷した。イタリア艦隊は煙幕で敵状が掴めなくなり、自艦の偵察機からの報告もなく、積極的な行動に出られなかった。 イタリア艦隊が距離をとったころ、枢軸国軍機の空襲がおこなわれた。シチリア島から飛来したSM.79、MC.200、Ju87 (Junkers Ju 87 Stuka) が攻撃をおこなう。マルタから飛来した戦闘機がイギリス側の上空援護をおこなっていたが、空母のように継続的な哨戒ができず、爆撃を許してしまう。貨物船チャント (Chant) が沈没、油槽艦ケンタッキー (Kentucky) が損傷した。掃海艇ヘーベ (HMS Hebe,J24) が曳航を開始したが6ノットしかだせず、船団部隊後方に落伍した。約1時間後に空襲があり、貨物船バードワン (Burdwan) が沈没した。さらにイタリア艦隊が接近し、航行不能になっていた英駆逐艦ベドウィンが沈められた。掃海艇へーべはイタリア艦隊に砲撃されて損傷し、ケンタッキーは撃沈された。 午後2時30分頃、マルタを飛び立った少数のボーフォート (Bristol Beaufort) 雷撃機とアルバコア複葉雷撃機 (Fairey Albacore) がイタリア艦隊を攻撃した。イタリア艦隊に損害はなかったが、ザラ提督は今迄に挙げた戦果に満足し、ナポリに戻っていった。 イタリア艦隊が去ったので、ハープーン船団部隊は隊列を組み直し、マルタ島を目指す。その後もハープーン船団部隊は何度か空襲を受けたが、今度は大きな被害を受けなかった。15日夜、マルタ島に辿り着いた。だがバレッタ到着前に掃海が終わっていない機雷原に入り込み、最後の損害を出す。機雷により護衛艦艇複数隻(マッチレス、バズワース、へーべ、クヤヴィアック)と貨物船オラリィが損傷し、このうちポーランド海軍の駆逐艦クヤヴィアック(ポーランド語版)は轟沈であったという。
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