パターナリズムとの衝突
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/20 18:06 UTC 版)
「インフォームド・コンセント」の記事における「パターナリズムとの衝突」の解説
健康で判断力を備えた成人ばかりを対象とするわけではない医療においては、困難の欄で述べたごとく、インフォームド・コンセントの前提がそもそも成り立たず、パターナリズムによる医療が行われる場面は多い。 患者が十分な理解力を備えた成人である場合でも問題が無いわけではない。あらゆる医療行為に伴って起こる可能性があり専門家が考慮すべき医学的事項は膨大な範囲に及ぶが、素人である患者は、専門家とはかけ離れた、限られた量の知識を元にして判断せざるを得ない。そのため、無制限に与えられる「患者の主体性」を認めることが果たして良いことかどうか疑問視する考えもある。また、日本人には「餅は餅屋」という考えが存在するので、その意思はどうくみ取られるべきかという問題もある。パターナリズムを重視する者の中には、「インフォームド・コンセントなど幻想に過ぎない」という意見も見られる。 しかし、インフォームド・コンセント自体はそのような情報量の不均衡は当然の前提とした上で確立してきた概念である。専門知識と経験をもとにして、真摯なアドバイス・提案を行い、それを聞いた素人が自分の価値観で判断をすることで成り立つものである。「充分な情報提供 (inform) 」が何より重要な前提ではあるが、その上でなされた患者の自己決定権(とそれに伴う責任)は、最大限に尊重されるべきであるとする立場である。 なぜなら、専門家の話しは素人に理解できるはずがない(から勝手に治療内容を決めてしまえ)、という考えそのものがパターナリズムであるという批判があるからである。 前述のエホバの証人の判例が示すように、現在では日本でも、パターナリズムよりも患者の自己決定権が優先される傾向にある。書籍やインターネット等である程度専門知識が得やすくなったことも、この傾向を後押しする要素となっている。 それでも、患者が、医学的観点から不適切であることがほぼ確実な治療方針を自ら選ぶ、と言った極端な場合においては、生命を守ることが使命である医療従事者側は、非常に強い心理的抵抗を受けることがある。絶対的無輸血治療を選択する患者は受け入れない方針の病院も多いなど、主体性の尊重とパターナリズムとの衝突は、結果として病院による診療拒否にすら繋がることがある未解決の問題である。
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