バレン要塞とは? わかりやすく解説

バレン要塞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/24 21:07 UTC 版)

クンタ・キンテ島と関連遺跡群」の記事における「バレン要塞」の解説

バレン要塞 (Fort Bullen, ID761-003) は、構成資産唯一アッパー・ニウミ地区位置する要塞で、登録面積は6.3 ha である。 バンジュール対岸位置し六連砲台欠点を補うために建設されることになったのであるイギリス軍人チャールズ・バレン (Commodore Charles Bullen) らは、バラの王ブルンガイ・ソンコ (Burungai Sonko) と交渉し1826年ガンビア川北岸沿い1マイル譲り受けることに成功したバレンすぐさま砲台移設し、1827年要塞竣工した方形見張り塔四隅聳える形式クンタ・キンテ島要塞とほぼ同じだが、周囲防壁の高さは 3.5 m で、こちらの方が低い。 このバレン要塞と六連砲台は、ガンビア川交易イギリス掌握することに貢献したが、1870年放棄された。ただし、バレン要塞だけは第二次世界大戦中イギリス軍に再び使われる場面もあった。フランス領セネガル統治していた現地官僚たちヴィシー政権支持したため、イギリス領ガンビア侵略危険にさらされていたのであるそのとき使用で、本来存在していなかったコンクリート製構築物追加された場所もあったが、2000年7月修復工事の際に撤去された。そのとき修復工事では、北側にあった建物一部屋に保護用の屋根付けられ展示室に変えられたり、見張り塔の間をつないでいた歩道下部にあったアーチ一部復元されるなど、復元保護観点から、様々な工事が行われた。 要塞使われた4基の大砲敷地内地面置かれている。そのうち入り口付近にある2基などは建設当初大砲だが、1基だけは第二次世界大戦新設されたものであった要塞には3つのレストハウスがある。最初のものは20世紀初頭に植民地官吏滞在用に使われていた泥塗りの壁の建物である。2つ目は1950年代作られプレハブ工法木造建築で、3つ目は1996年建てられた。 1995年世界遺産暫定リスト登録され時には、「バレン要塞」の名で、クンタ・キンテ島とは別の資産として単独掲載されていた。世界遺産の構成資産としては、六連砲台とともに奴隷制否定されるようになった植民地時代についての例証として評価されたことで推薦された。 2011年4月には修復工事のために23,000USDあまりが世界遺産基金から拠出された。

※この「バレン要塞」の解説は、「クンタ・キンテ島と関連遺跡群」の解説の一部です。
「バレン要塞」を含む「クンタ・キンテ島と関連遺跡群」の記事については、「クンタ・キンテ島と関連遺跡群」の概要を参照ください。

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