六連砲台
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/24 21:07 UTC 版)
「クンタ・キンテ島と関連遺跡群」の記事における「六連砲台」の解説
六連砲台 (Six-Gun Battery, ID761-002) は、ガンビアの首都バンジュール市内にある砲台の遺構で、世界遺産登録面積は0.17 ha である。 バンジュールは1816年にセント・マリー島に建設された都市である。建設当時の名はバサースト (Buthurst) といい、バンジュールへの改名は1973年のことである。バサーストはのちに首都となったが、都市名の由来にもなったイギリスの国務大臣ヘンリー・バサーストは、恒常的な都市の建設には否定的だった。 セント・マリー島はイギリスの提督アレクサンダー・グラントがジェームズ要塞に代わる拠点を築くために、地元のコンボ王国の王から鉄棒103本で譲り受けたもので、セント・マリー島は国務大臣の反対にもかかわらず、多くの人々が移り住んで都市を形成していった。 その中心をなすものとして1821年に完成したのが、24 ポンド砲 (24 pounder gun) を6門備えた六連砲台である。この砲台は現在も議事堂 (State House) の敷地内に残っているが、許可なく近づくことは認められていない。この世界遺産を構成する資産の中で自由なアクセスが制限されているのは、ここだけである。 1807年にイギリスでは奴隷貿易が禁止されたが、フランスやスペインは、競争相手であったイギリスが撤退したことをむしろ好機と捉え、ガンビア川流域での奴隷貿易を継続した。また、イギリス商人の中にも国籍を偽装して継続する者たちがいた。この砲台はそうした目的で河口から外洋へ出航しようとする船を砲撃するためにつくられたもので、奴隷貿易に関して肯定的に機能したクンタ・キンテ島の要塞などとは対照的である。 しかし、実際には砲弾が対岸に届かないという欠点があり、必ずしも有効に機能していなかった。この欠点を補うべく対岸に建設されたのが、次に述べるバレン要塞である。
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